今日は、UN-KNOWNの大切にしている曲。『光』について、話したいと思います。

遡る事、8年。看護師時代。

「光」と言う曲は、横木章弘(以下、章弘と書す。)が看護師時代に出会った末期癌の50代女性との出合いからはじまります。
彼女は旦那さんとは離婚しており、20代の娘さん一人、今年(当初)成人を迎える息子さん一人をお子さんにもつ、二児の母でした。

ある時、身体に違和感を感じられ当院を受診され。
検査の結果、ステージ4。末期の癌でした。余命は半年。
彼女(女性の事を以下:彼女と書す)の担当になった章弘は、自分なりに全力で人として、看護師として毎日を関わっていきました、しかし、それと同時にいつも心の片隅に、ひっかかる“何か”を感じていました。

彼女はいつも笑っていました。

章弘にも、他のナースにも いつも笑顔でした。

末期の癌。余命半年。
入院日数が進むにつれ、予後の話などもすすめていかなくてはなりません。
それでも、彼女は笑顔でした。

章弘は、その笑顔に いつも違和感を感じていました。

ある時、再度違う病院での検査に行く時、彼女と僕はタクシーに乗りました。

移動車中、彼女と話をしていると ラジオから 曲が流れてきました。

その曲を聴いた瞬間、今までずっと笑顔だった彼女が、泣き崩れました。

「なんで!なんで私なの!一人で娘と息子を育ててきて、やっと今年で息子が成人して、三人でお酒飲みに行こう!色んな所へ行こう!これから、三人で沢山の楽しい事をしよう!って、話してたのに!なんで?!アァー!!!!!」と、大声で泣かれました。

章弘は肩を、背中を摩る事しかできませんでした。

タクシーを降りる頃には彼女はいつもの笑顔の彼女に戻っていました。

しかし、そのタクシーでの出来事以降、彼女は色々な感情を僕に打ち明けてくれるようになりました。

何日か過ぎ、他院。の結果が届き、末期癌・余命半年の診断は変わらず。
彼女は娘さん息子さんと共に、自宅へ帰って行きました。

数ヶ月後に、娘さん息子さんが病院にご挨拶に来られ、彼女が他界された事を知りました。

娘さんより『タクシーでの出来事、母から聞きました。「想い出の曲だったから我慢出来なかった、でもその後、横木さんには沢山甘えさせてもらえた。」と、スッキリした いい笑顔で家で過ごせました』と言う話を聞かせていただきました。

看護師の仕事を通して、音楽のもつ力によく出会います。
赤ちゃんが泣き止んだり、ストレスを抱えた人が気兼ねなく泣く事ができたり、ずっと怒っていたおばあちゃん・おじいちゃんが笑顔になったり、患者様だけでなく、家族の人達の心をも癒したり。
そんな、出来事に出会う度に
『自分の唄で、沢山の人の人生を少し幸せにしたい』と考えるようになり、
『自分の唄で、沢山の人の人生を少し幸せにする』
と心に決め、上京し 初めて書いた曲が『我が道』(光になる前の曲)です。

その後、相方ROyと出会い。UN-KNOWNが結成され。

Royが、章弘の「我が道」に自分の想いを吹き込み、完成した曲が『光』です。

誰でも皆、日々の生活・仕事・人間関係など、それぞれの苦しさ、悩みがある。
人生の壁にぶち当たった時もそう。

そんな時に、この曲を聴いて前に進んでほしい。
そして、一人で抱え込まず、僕たちに自分をあずけてほしい。
必ず、その壁をぶち破る勇気や希望を届けるから。
それでダメでも、何度でも、何度でも、僕たちは唄い続けるから、一緒に前に進んでいこう。

僕たちは日々唄い続け、いつも あなたを待ってます。

一人でも多くの人に、希望という『光』を持ってもらうために。

そんな気持ち込めて作った曲です。


『光』が沢山の人に知ってもらえるように、これからも僕たちは唄い続け、伝え続けます。