注意:このブログは2009年5月13日に書かれたものです。
今、俺は主演映画『ムカデ人間』が日本で7月2日から公開される
ということで注目されています。だからこそ、今、この話を
みんなに読んでほしい。俺が25歳の時に撮った長編映画
『I'll Be There With You』の話です。



『I'll Be There With You』全米DVD配給への長い物語


2009年6月16日に俺が脚本/監督/主演を
担当させてもらった長篇映画『I'll Be There With You』の
DVDが全米で発売開始です!!

配給会社はCelebrity Video Distributionです!!
彼等は本当にこの映画に惚れてくれて、
なんと社長自らがセールスエージェントのイレブンアーツまで
出向いて、獲得交渉をしたほどの熱意を見せてくれました。

今月発売のFANGORIAという超人気ホラー映画雑誌の
30周年記念号にフルページ広告を載せてくれるようです!!
スゲエ!!!しかも、TOMOさんが作ってくれた最高に
カッコイイDVDカバーを採用してくれたので、目立ちまくり
になるでしょう!!

本当にここまで来るのに長い闘いでした。

俺が25歳の頃にめちゃくちゃ可愛いアメリカ人の
彼女が出来ました。可愛いだけでなく、ヤクザとかに
憧れている面白い女の子で、「ちきしょー」とか突然言って
俺を笑わせてくれました。

でも、俺との関係が深くなるにつれて、彼女の中で何かが
変化を起こしました。なんだか深刻な顔を時々するように
なったのです。そして彼女の笑みが消えて行きました。
戸惑った俺は、必死に理由を探しました。でも、わからない。
彼女もなんだかはぐらかして、本当の理由を言ってくれない。
俺は若かったから、そんな彼女の変化にきちんと対応が
出来ませんでした。ただ単に,彼女とセックスがしたかった。
やりたかった。それだけでした。

ある時、彼女が俺に「ある秘密」があると言いました。
突然の告白でした。


その「秘密」とは、、
彼女が16歳の時に、ある男に性的虐待を受けていたという
ことでした。


俺は何といっていいかわからなかった。
若過ぎて、未熟すぎて、どうそれに反応したらいいかも
わからなかった。「なんとか時間が解決するさ」とか
適当な事を言ってしまいました。

そして彼女が俺に聞きました。
「正直に言って、あなたは私の何が欲しいの、、」

その時、、俺は本当にバカでした。
愛を通すと言う事は正直になるという事だと思っていたので、
こう返したのです。

「俺は、、オマエとセックスがしたい」

俺と彼女の関係は終わりました。
泣いたよ、思いっきり。なんで、他の第三者の人間の
悪意の行為によって、俺とアナタの恋が引き裂かれなければ
いけないんだと、彼女を虐待した奴を憎みました。その男
がのうのうと生きているモンタナまで行って、そいつを殺そう
とマジで思いました。でもそんな事は出来なかった。
俺は映画監督だから、殺人者ではない。

そして、俺はリサーチを開始しました。
この世の中で何人の女性が性的虐待の犠牲になっているのか。
なんと世界で3人に1人の女性が何らかの形で性的に虐待
された経験を持つと言う事実を知りました。

俺の中で火がつきました。
映画監督としての使命に燃えました。
この事について映画を作らないと!
こうやって女の人が毎日どこかで犠牲になっている。
癒える事の無い深い傷を負ったその女性の周りの人間にも
影響を及ぼしている。そして、深い映画を作るために、
自分の中にある男としての性的欲求をもしっかりと見つめまし
た。

俺は狂ったように、『I'll Be There With You』の脚本を
一ヶ月で書き上げました。

脚本が出来たら、
それを映画化するために
色々な人間に話して行きました。
まずはプロデューサー探しです。

エクゼクティブプロデューサーに
俺の処女作の『ポルノ』をプロデュースした
テキサスの暴れ馬ことコンスタンティン。

プロデューサーにはMTVの若者向け番組の
プロデューサーをしていたスパイクに、
クロアチア人で戦争経験がある、クリス。
そして、演劇学校で出会った、今までに
俺が会った事のある人間で一番パワーが
あるといっても過言ではない、当時18歳だった
女の子のアダーシャが主演女優兼プロデューサーに
なる事になりました。なぜ俺が彼女を主演に選んだ
かというと、女優としては荒削りな所もあったのですが、
「私がこのファッキンな業界に革命をもたらす!」と
彼女の目に熱いモノが見えたからです。「女優」という
よりも「革命家」なんですよね。で、俺はそんな人間と
絶対に仕事をしたいのです。2人でアカデミー賞の授賞式
をテレビで見ていた時も、彼女は「絶対に、オスカーを
取る!」って断言していました。俺も負けずに、
「俺が最初に取って、プレゼンターとして君に渡す!」
とか言って対抗していました。(笑)
似ている所があったのでしょうね。

そして、スタッフ探し。まずは人間観察能力に優れた
アダーシャが最初に候補者に会って、フィーリングの合った
人間を選びます。どんなに才能があっても、態度に問題が
ある人間とはチームを一緒に組めないという彼女の主張で
した。そして、俺がその選ばれた才能のあるスタッフ一人一人
に俺の映画にかける想いをぶつけます。
若い映画監督の熱さに触発されたスタッフが最後に会うのが、
会計担当でもあるプロデューサーのクリス。そこでクリスが
普段もらえるはずの10倍以下の設定である給料を提示する
のです。もうお金のためではなく、俺のため映画のために
パッションを持って働こうと思っているスタッフは誰もそれに
異議を唱えませんでした。インディペンデント映画の低予算で
ハイクオリティーのスタッフを雇うという事を実現させた、
俺達3人の最高のコンビネーション技です!!!
こうして、才能のあるスタッフが集結してくれました。

その次はキャストです。俺が通っていたBeverly Hills
Playhouseという演劇学校のクラスメート達をオーディション
無しで配役しました。彼が彼女が何の役に適しているか、
何が出来るのかをもうすでに一緒に勉強してわかっていた
ので、キャスティングは非常に楽で安心でした。主人公を
惑わす影のある美女の役にクラスで一番の美貌の持ち主
だった、ミシェルを選び、最後の最後まで主人公を追いつめて
行く殺人精神異常者にクラスで一番狂気を演じさせたら上手
だったジミーをキャスティング。隠れホモで英語が喋るのが
不自由な、主人公の親友日本人の役には、英語もしゃべれ
ないし演技経験もない俺の高知からの親友ヤブを大抜擢しま
した。俺はヤブ個人のキャラクターの特異性に賭けたのです。

ダニエル・ボールドウィンは撮影の一週間前に突然、
エクゼクティブプロデューサーのコンスタンティンが
「有名な俳優を1人入れないと金は出さない!」と要求して
きたのでみんなで一生懸命に探しました。

撮影が始まり、スタッフの中ではアダーシャを除いて俺が
最年少でしたが、アメリカは年功序列というのは無いので、
皆が監督としての俺の指示を尊敬してくれました。
時々、ダニエル・ボールドウィンのマネージャーがわけの
わからない要求をしてくる事もありましたが、その度に
アダーシャが「この映画はアキの映画よ!だからあなたは
黙っといて!!」って守ってくれました。アダーシャは
NY育ちなので、口がめちゃくちゃ達者で、自分の欲しいものを
得るためには喧嘩上等な性格をしていたので、時々
コンスタンティンにおもいっきり怒鳴られていました。でも、
俺とは強い仲だったので、いつも俺の味方でした。
「これはアキの映画よ!だからあなたの才能のない考えで
彼に意見しないで!」とくだらない意見をした
スタッフに怒鳴ったり、編集の時もエディターがコンスタン
ティンの理不尽な要求に耳を向けて、俺の意見を無視した
瞬間に、そのエディターを速攻でクビにしたのも、アダーシャ
でした。あの時の彼女はかっこよかった!
やんちゃで、女優としてはわがままなところもあった
彼女ですが、プロデューサーとしての俺に対する信頼感は
本当に大きかったし、俺が欲しいものをゲットするために
直ぐに電話をしたりの行動をするのも、他のプロデューサー
よりもダントツに早かったです。正直なところ、彼女は映画を
プロデュースしたことも無かったのですが、他のプロデュー
サーよりも確固たる意見を持っていたので、俺からも凄く
信頼を得ていました。なによりも、この映画への夢や情熱を
俺といつも共有していました。
「この映画は凄い映画になるよ!」
「この映画のおかげで女優としてのステップアップが
出来る!」って、目を輝かせながらいつも語っていました。

映画の制作もポストプロダクションも波瀾万丈で、本当に
この映画を終わらす事が出来たのも奇跡の中の奇跡でした。
でも、映画を作っている時は目的があるからどんな困難が
あっても楽しいし、順調なのですよね。

インディペンデント映画で本当に辛いのは、映画が完成した
後なんです。映画に出ている俳優達やスタッフにはこの映画
をステップアップにしてブレイクするという夢があります。
映画監督のこの俺が約束した、みんなの夢なんです。
でも、インディペンデント映画は売れないのです。
ブレイクもなにも映画が売れないと誰にも観られないの
ですから。

俺が思うに、毎年アメリカで作られる本当のインディペンデン
ト映画の中で商品化され配給される作品は、10パーセント
ほどだと思います。いや、もっと低いかも、、5パーセント
くらいかも。ちなみに、サンダンス映画祭とかで流れている
自称インディペンデント映画は本当のインディペンデント
映画ではないですからね。スタジオがインディペンデント
という名を利用している小さい規模のスタジオ映画です。
スターも出ているし、配給がもう既に決まっている映画
なんて、インディペンデントなんかでは決してないですよ。

「I'll Be There With You」もその例に漏れませんでした。
興味を示してくれた配給会社に送っても、
イエスもノーも言われずに放置されたり、
配給会社の1人の人間が凄く気に入ってくれても、
決定権のある人間がダメだと言ったりと落胆の
日々が続きました。映画祭で上映するたびに、観客の
反応が良かったのが唯一の救いでしたが、それでも
映画が売れないと何の意味もありません。

俺の約束した未来が見えなくなると、焦ってきて
映画を疑問に思う人間も出て来ます。俺に対して
「くだらない映画を作りやがって!オマエなんて
偉そうなだけで最低の監督だよ!」と言って来た
役者もいました。なんてことだ、、
俺はもちろん映画に対して自信を持っていたのですが、
そんな事を一緒に仕事をした役者に言われたなんて、
悲しくてたまりませんでした。その事を聞いたアダーシャは
激怒して、その役者に電話して怒鳴りまくっていました。
俺やアダーシャのような若い人間が重要なポジションについて
しかも2人とも自分の意見をしっかりと言う人間なので、
生意気だと思い敵になった人間もたくさん作りました。
IMDBの票をわざとに一番低い票に何度も何度も違うメアドで
投票した人間もいました。

一番焦っていたのが、この映画に莫大な金をつぎ込んだ
コンスタンティンでした。この映画以外にも色々と他の事業に
手を出していたのですが、それが全て失敗して、財産が
無くなる寸前だったのです。意味なく激怒した脅迫のような
電話が毎日かかってくるようになりました。「俺が編集を
やり直す!20分ほど切ってやる!!」とか理不尽な事を言い、
わざとに俺を怒らせたりしてきました。

そしてある日、コンスタンティンの中でなにかが切れました。
アダーシャとくだらない小さい事で口論になった彼は
突然アダーシャをクビにしたのです。俺はショックを受け
ました。アダーシャもショックで叫びながら泣いていました。
彼女の人生の全てをかけていた大切な物が突然奪われたの
です。コンスタンティンは映画が売れても、あのビッチには
一銭もあげないと言い始めました。「そんな契約書も無いの
に払う筋合いもない!」と言い放ち、最後にはプロデューサー
のクレジットもやらないという事を言って来たので、俺は
コンスタンティンに「それを奪ったら俺はオマエに何をするか
わからない」と言って、なんとかそれだけは守りました。
アダーシャになんとかコンスタンティンに謝って、関係を修復
させるように言ったのですが、彼女はそれを断固と拒否しました。
ずーっとタダ働きでここまで頑張って来たのに
そういう仕打ちをされたので、もうこの映画に関わり
たくないと俺に言いました。「もう他の事をしたい!
この映画にずーっと時間を取られて、1つの場所に
とどまりたく無い!次の事をやり始めなければいけない!」
と言っていたので、俺もどうする事も出来ずに、
ただアダーシャが去るのを見守るだけでした。

こうして、俺はこのプロダクションで一番働いていた
プロデューサーであり、最大の理解者だった人間を
失いました。

そして、コンスタンティンと俺だけが残され、
2人でこの映画を売る努力をすることになりました。
コンスタンティンもこうやって俺が書けば、凄く嫌な奴だと
思う人がいると思うのですが、俺にここまでの大金を
投資してくれた恩は一生忘れないし、本当に俺の事を
自分の息子のように扱ってくれました。本当は凄く優しい
心の持ち主なんです。ただ映画制作のビジネス的な厳しさに
直面して、自分を見失っていたのです。凄く短気な性格で
すぐにブチキレて、俺を怒らす目的のために
理不尽な事を言ってくるような人間だったので、一緒にいて
大変な時もありましたが、、ユダヤ人の弁護士に映画を
売ってもらうというように約束されて、結局何もされなかった
りと年月だけが過ぎていきました。コンスタンティンも自分の
ネガティブな面に支配される事が多かったので、そのせいか
両目がほぼ失明状態になってしまいました。俺と杖をついて
歩くコンスタンティンの2人で、サンダンス映画祭に行き、
なんとか配給会社のバイヤーに興味をもってもらうために
雪の振る極寒の中で映画のビラ配りをしたこともあります。

そして一年が経ち、映画は売れず。
もう一年が経ち、俺もほとんど諦めるようになりました。
この映画はもう絶対に売れないんだと思い、コンスタンティン
と映画の事について話すのもイヤになっていました。
「君は映画監督なんだから、この映画に関わるのは止めて
次の作品に移らないとダメだ」と他のプロデューサーに
言われるようになりました。

もうこの映画は売れない。配給されて世に出る事は無い。
俺の信じている映画が他人には理解されなかったんだと
思いました。

ある日完全に映画の事を忘れていた俺の元にメールが
着ました。「I'll Be There With You」のウェブサイトをホスト
している会社からでした。延長料を払って、このサイトを
継続していくかどうかを聞いていました。俺はせっかく
だからこの世の中に映画が存在しているという記しを
残すためにこのウェブサイトを続けていこうと思い、外で
昼ご飯を食べた後に、街を歩きながらその会社に
電話をかけました。対応してくれた女性の方が、サイトを
継続するためには2年前にこのサイトをホストする契約を
した時に設定した「パスワード」が必要だと言って来ました。

パスワード?
確か、このウェブサイトをアップしたのはアダーシャだったから、
俺はそんなパスワードは知りません。
俺ではなくプロデューサーの彼女がそのパスワードを設定
した事を説明すると、それでもどうしてもパスワードが必要だ
と言われました。自分の映画のウェブサイトなんだから、
そんな事を言われてもと反論すると、じゃあヒントをやると
言われました。

「ヒントは、、??MOVIEよ。??の部分を考えてみて。」

結構、怖い映画なので、「SCARY(怖い)映画かな?」と
言うと違うと言われます。じゃあ、「Horror映画?それとも
Crazy映画?」と聞くと、そうではないと言います。俺が
全然当てる事が出来ないので、イライラした彼女は
さすがにいいかげんなアメリカ人なので、仕方が無いから
答えを言ってくれました。

「Best Movieよ」

「え?Best Movie?」

そう聞いた瞬間に、俺はショックを受け、その場に立ちどまり
ました。そして目から涙がボロボロとこぼれ落ちました。
アダーシャが「Best Movie(最高の映画)」と2年前にパスワード
を設定していたのです。彼女は俺と同じようにこの映画の事を
信じていたんだ。あの情熱と若さで映画を撮っていた時の、
あの夢を見ていた日々の、俺がすっかり忘れていた感覚が
蘇って来ました。

俺達は、確かに、Best Movieを作ったんだ、、
俺はその場で人の目を気にせず、号泣していました。

こうして、「この映画を絶対に日の目に当てる」という決意
と共に俺はまた動き出しました。イレブンアーツという配給
会社と契約をすることになり、彼等はドイツにこの映画を
DVD配給させてくれました。そしてさらに2年の年月が流れ、
今年2009年の始めに『I'll Be There With You』は劇場公開され、
「LA Weekly」紙によって、その週に上映された全ての映画の中で
一番のお薦め映画という「Pick of the Week」に選ばれました。
そしてその後にアメリカでの全米DVD配給という快挙を
成し遂げたのです。

長い年月が経ち、今現在、「I'll Be There With You」に
出ていた役者達のほとんどが今は俳優業をやっていません。
アダーシャも、もう女優ではありません。
あの中では結局、ミシェルが一番役者として成功しています。
彼女はアメリカの大きなテレビドラマに出るようになった
ばかりです。アダーシャは女優業は休んでいますが、
自分で雑誌をつくったり、1000人くらい来るパーティーを
開いたりと、精力的に動いています。まだ24歳なので、
まだまだ女優も出来ると思うし、彼女には是非とも
やってほしいと俺は思っています。でも、女優という枠で
満足する女では決してないので、きっと彼女はこの世界を
変えるようなデカイ事をするでしょう。絶対に。
彼女は「革命家」なので。

コンスタンティンは結局、映画ビジネスをあきらめ、
テキサスに戻って不動産業に戻りました。映画が売れて、
収入が入ったので、今ではかなりハッピーになっています。
「人間死ぬ時は裸であの世に行くんだ。
金とかそういう物は持って行く事が出来ない」という
悟りを開いたと最近俺に言っていました。

俺はこの映画を作るきっかけになった、あの元カノに
映画を見せました。憧れだったサンセット5という劇場で
映画が上映された時に、隣の席に座ってもらい、
一緒に映画を観ました。最後のほうで、俺と彼女が
実際にした、「あなたは何が欲しいの?」と彼女が俺に聞く
場面が劇中に出て来ます。あの時に実際に交わした言葉
をそのままセリフにしているので、俺は彼女がどういう反応
をするか恐がりながら見ていました。すると、彼女は俺の手
をぎゅっと握りました。この映画は性的虐待をされる悲劇の
場面があるのですが、最後には愛の希望を残しているという
内容なので、彼女に見せる事ができて本当によかったです。
でも、彼女にはもう既に彼氏が出来ていました。
それでも俺は幸せでした。上映後に彼女は俺と最初に会った時
のような笑顔を見せていたので。

I'll Be There With You
アナタと一緒にそこに行く。


というわけで、これがI'll Be There With You全米DVD配給
への長い物語です。本当に長い道のりでした。
長文に付き合ってくれて、ありがとうございました。
でも、この映画を作った時に生まれた様々なドラマの、
まだ一部分しか書いていません。それほど、長篇映画を
作るという事は凄まじい経験なんです。

ていうか、この話を映画化したら面白いよね。
松山ケンイチ君が若い北村昭博を演じたりしてね。

俺は本当に映画監督になってよかったと思います。



 
『ハリウッドで、愛をさけぶ!』 新進映画監督 北村昭博   AKIHIRO KITAMURA OFFICIAL BLOG  
ビバリーヒルズの映画祭にて、アダーシャと26歳の俺。


『ハリウッドで、愛をさけぶ!』 新進映画監督 北村昭博   AKIHIRO KITAMURA OFFICIAL BLOG  
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左からヤブ、エステス、俺、エリサベス、ライオネル。
I'll Be There With Youの役者陣だ!


『ハリウッドで、愛をさけぶ!』 新進映画監督 北村昭博   AKIHIRO KITAMURA OFFICIAL BLOG  
『I'll Be There With You』はアメリカで2009年6月16日に
発売/レンタル開始されました。