知らない子供たちの子だけど(戦後の話 | なんとなく…なんとなく…

なんとなく…なんとなく…

毎日を目標に更新しています

好きなとき思いついたことを好きなように綴ってます

暑さ復活に

辟易していますが

もう少しの辛抱みたいです

 

こんばんは

 

毎年8月になると

今日のこの日に

何を記事にするか

 

触れずにおくか

書くなら何をどのように書くか

悩みます

 

77年ともなると

50歳が見えてきた私でも

親は戦後生まれです

(親父は辛うじて終戦の年生まれ)

 

知らない(体験していない)

今のままでこれからも

生きたいと思っていますが

 

知識だけは

増えるんですよね

 

語り部や資料・文献の類も

少なくなってきているのも

事実ですし

 

歴史を受け継いで行くことが

難しくなってきています

 

長年モヤモヤしてきて

この季節特に遣る瀬無く

思っていることがあります

 

私の住まいは

東京大田区の大森

 

京浜急行平和島駅が

一番の最寄り駅

次が京浜急行大森海岸駅

そしてJR大森駅

 

この3駅を結んだ

三角形の中の

平和島寄りに住んでいます

 

平和島駅は

日本の私鉄で始めて

投身自殺があったらしい駅です

 

どんな方が

どんな理由で

そのようなことになったのでしょうか

 

大森海岸駅のそばには

とある施設が約半年の間だけ

稼働していました

 

前述の自殺者は

この施設での経験が引き金です

 

戦後の話です

熱海などにも

似たような施設は

あったようですが

 

大々的に展開したのは

大森海岸の施設です

 

『RAA』という施設です

(レクリエーション&アミューズメント アソシエーション)

 

これをご存知の方は

地元でも数少ないです

 

関係者でご存命の方も

おそらく居ないと思いますし

いらっしゃっても

名乗り出ないでしょう

 

当然私がこのことを

多く語れません

 

ただネットで検索すると

すぐに引っかかるキーワードです

 

(言葉は悪いですが)

胸糞悪くなるはずです

 

戦争の始まりも

戦争を続けたことも

戦後でさえも

愚かな選択を続けてきた事実

 

何らかのかたちで

(当事者の方々は残したくないでしょうけど)

残せないものだろうか

 

無記名の石碑くらい

建てられないだろうか

夏になると特に

考えてしまうのです