1か月いなくなったとき、
「もう終わりでもいいか」
と思った。
正直、静かだった。
怒鳴り声もない。
ヒステリックもない。
金の話もない。
でも家は空っぽだった。
6歳の息子がいない。
それが一番きつかった。
あいつがいないと、家はただの建物。
あの1か月で分かった。
俺がこの家に残っている理由は、
子どもの母親じゃない。
息子だ。
それだけ。
戻ってきても、何も変わらない。
会話はない。
目も合わない。
話しかけてくるのは、だいたい金の話。
「お金ちょうだい」
それ以外はほぼ無言。
一緒に住んでいるのに、
他人より会話がない。
だから外を見る。
同じことだと分かっている。
若い女に行っても金がかかる。
また裏切られるかもしれない。
それでも探してしまう。
理由は単純。
必要とされたいから。
金じゃなくて、
存在として。
59歳でも、まだそんなことを思っている。
情けないが本音だ。
でも、正直に言うと。
ただ一つ、
幸せを感じる瞬間がある。
子ども2人と、子どもの母親と、
4人でスーパーに買い物に行くとき。
カートを押して、
息子が勝手にお菓子を入れて、
連れ子がジュースを選んで、
子どもの母親が
「それ高い」
とか言っている。
その時間だけは、
なんか普通の家族みたいになる。
そのときばかりは、
ATMとかスポンサーとか、
そんなことを考えていない。
ただ一緒に買い物している。
それだけで少し幸せだと思ってしまう。
お金を払う瞬間も、
不思議と嫌じゃない。
一緒にいられるならいいか、
と思ってしまう。
だからややこしい。
ATM扱いされていると分かっているのに、
その家族っぽい時間があるから、
やめられない。
59歳。
まだ家族という形に
すがっている。
たぶん、それが本音。
