今日は9年前に亡くなった母の命日、そして従妹で唯一定期的に連絡を
くれる従妹の誕生日です。
毎朝、仏前で勤行していますので特に何時もとは変わりませんが、勤行する
事で、また遺影を見る事で心が落ち着きますね![]()
私には父方の従兄妹13名、母方の6名(会ったことのない従妹もいるみたい)が
いますが、現在連絡を取っているのが佐賀県唐津市の父方従妹一人だけです。
その従妹も小さい頃から会ったのは6回だけ![]()
私が中学で従妹が小学3年生の頃、昔は交通網も発達していなくて、今では車で
一時間で行ける所が4時間近く掛かっていて、両親も戦後間もなくの頃だったので
仕事が忙しく連れて行っても貰えなくて![]()
会ったのが小さい頃に2回、私が横浜に住んで東京に就職したと会いに来て
くれたのが3回目、あとは従兄妹会や両親を連れての里帰り2回、もう一回は
佐賀県多久市でスポ-ツ吹矢佐賀県大会が開催され、県会長より参加しませんか?
のお誘いで参加し、その応援に叔母と一緒に来てくれました。
それが6回目でした。
優勝した私の久し振りに会う顔に、とても喜んでくれた記憶が有ります。
その従妹に、唐津の西の浜の砂を送って欲しいと依頼し、今日夕方送って来ます。
母が唐津の栄町出身で、家の前の松浦川がボートレ-ス場でした。
部屋の窓を開けると目の前に大きな時計が、庭にはレースに使用したボートが
沢山並べて有りました。
敷地をレース場に貸していたとも聞いた事が有ります。
母は亡くなる5年ほど前に、岐阜の妹宅に住みたいと希望が有り転居しました。
亡くなり墓地を購入し納骨をする前に、その霊園は骨壺で納めるのでなく袋に入れて
直接土に帰す、そんな納骨でした。
私はそれでは寒がりやの母が可哀そうと、従妹に頼んで西の浜の砂を送って貰い
その上で安らかに眠って貰えるようにしました。
今日の分は、私も喜寿を迎え何時お迎えが来るかも知れません。
30年ほど前に、後厄で体調を壊しもしもの事を考え歩いて10分の霊園に
墓地を購入し、墓石も含め一切の工事を終えました。
現在は、一人暮らしの叔母を側の納骨堂に納め、見守りながら草取りなどで
管理しています。
自分の部屋は自分らしく、そんな気持ちで西の浜の砂を敷いて故郷に帰りたいと
思っています。
従妹もlineや電話で、私が佐賀弁を忘れないように気を使ってくれます。
もう少しは仲の良い二人でいたいですね![]()