【日本女子プロゴルフ協会 プロフェッショナル会員】
【ツアープレーヤー資格】
【LPGA(日本女子プロゴルフ協会)インストラクター資格】
留学していた
オーストラリア留学について
書きたいと思います🇦🇺🐨
オーストラリア クイーンズランド州の
ブリスベンにある
インターナショナル パシフィック カレッジ
へ留学していました。
オーストラリアに留学できたのも
高校のゴルフ部監督の推薦をいただき
留学する事ができました。
高校卒業の進路を決める際、
私の姉が名古屋商科大学のゴルフ部だったため、
日本の大学のゴルフ部へ進学するのは
金銭的にとても負担があります。
姉は特待生で進学しましたが、
それでも当時のゴルフ部は遠征代もかかります。
私が高校2年生の時、
先輩方が引退した夏、私は明徳義塾ゴルフ部の
キャプテンになりました。
そして、たまたまゴルフ部監督さんと
遠征へ向かう車で2人になったとき、
監督さんが、
『亜規はオーストラリアへ留学してみないか。
3年生の時に成績を残して
スカラシップ(特待生制度)を狙って
みないか』
という提案をしてくださりました。
不思議な事に、
私はなぜか小学生の時から
小学校の図書館にあった
オーストラリアでの生活
という本が大好きでいつも本を観ていました。
そういう事もあり、
監督さんから提案をいただいてから
私の気持ちはオーストラリア留学へ
一直線となりました
そしてこの一年で試合で成績を残すしかない

という状況になりました。
3年生の5月、
神戸のインターナショナルパシフィックカレッジの日本事務局へ面接へ行きました。
面接の翌週の
関西女子アマゴルフ選手権での成績を見せてもらいます。それによってスカラシップは決めます。
という約束でした
翌週の加古川ゴルフ倶楽部で行われた
関西女子アマチュアゴルフ選手権 決勝では
最終組 姉と一緒の組み合わせになり、
4位という結果を残せました。
そして無事、スカラシップ制度で
オーストラリア留学が決定しました

本当ですと、留学前に、
皆さん短期留学で
2週間ほど体験で渡豪するのですが
私は初の海外が留学という形で
日本を出発しました

オーストラリアへ着いた初日、
ブリスベン空港へ学校関係者の方々が
迎えに来てくださり、
ブリスベンシティにある学校へ向かいました

そして、そこにホームステイ先のファミリーが
来てくれていて、いきなりホストファミリーの
車で、ホームステイ先へ向かいました


車の中でいろいろ話しかけられましたが、
全く英語が聴き取れず、返す言葉も出てこなくて、ホームステイ先に着いた瞬間に
早くもホームシック



こんな遠くまで来てしまった、
すぐに帰れない
と涙が出たのを思い出します

そんな私を救出してくれたのが、
高校の時のとても尊敬、信頼していた
2歳上の先輩でした。
私が高校1年生の時のキャプテンが
同じ留学先へ進学していました。
私の両親は、
当時、その先輩が留学先にいてくれるという
安心感で、遠い国へ送り出してくれたそうです。
そして私はスポーツマネジメント学科で
ゴルフとビジネスマネジメントを4年間
勉強することになりました。
↓先輩と
大学ではゴルフの練習は
1年生と4年生が同じ練習日
2年生と3年生が同じ練習日だったので
2歳上の先輩とは、
学校ではほとんど会いませんでしたが、
休みの日などはよく遊びに連れて行ってくれました
オーストラリアでの生活は
書いていくと、とっても長くなりますので
少しずつ書いていきます


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