アメリカ出産回顧録⑤ | 慢性骨髄性白血病をもつ主婦のブログ

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主婦であり、母であり、慢性骨髄性白血病であり、
日常の出来事、思ったこと、考えたこと、適当に書いていきます。

家庭の事情でアメリカに滞在していた時期に、
ちょうど子どもを妊娠し、そのまま現地で出産をした
その出産時の思い出話⑤である(全5話)
 
 
嘔吐した私に助産師さんは、
「何?一気飲みしたの?そら吐くわよ!」
と一蹴した
 
それならそうと先に教えておいてほしかった
 
震えと嘔気が治まり、
初めて子どもをゆっくりと抱っこすることが出来た
やっと愛おしいという気持ちが出てきた
こんな異国の地で、大きな不安を抱えていた日々が、
ようやく安心と幸せに変わったと、
嬉しさがじわじわと込み上げてきた
 
その後2時間ほどLDRで過ごした後に産婦人科病棟の個室へ移動となった
大変お世話になったピンクネイル助産師さんとはここでお別れになった
 
本当は色んな言葉で感謝の気持ちを伝えたかったが、
私が思い付いた英語はたった一言だけだった
というか、その言葉しか知らなかった
私は渾身の「サンキュー」を口から発した
想いは伝わったのだろう
彼女は私の頭を撫で回し、
「あなたは最高の患者だったわ
最後のいきみは特別クールだったわよ」
と耳元で囁き褒めてくれた
 
ここまでが時系列に沿った出産の回顧録である
その後の記憶はかなり断片的で曖昧なものになってしまった
以下に思い出す限りに羅列してみる
 
個室は広く付き添い用のベッドも完備されていた
そこで夫は適宜休憩を取りながら通訳としての任務を遂行した
 
産後すぐから産褥ショーツ的なものをはかされたが、それは意味不明の網だった
書いてみてもよく分からないし、当然伝わらないと思うが、本当にただの網だった
 
入院着もやはり背面全裸スタイルだった
持参した荷物にパジャマを入れておいて助かった
産後すぐに着替え、前開き服の良さを心底噛み締めた
 
入院食はチーズバーガーとフルーツとか、
ほぼ毎食そんなやつだった
ポテトは必須で添えられていた
 
持ってきたぽたぽた焼きはかなり湿気ていて残念だった
 
病棟内に冷蔵庫があり、
そこにサンドイッチとりんごとジュースと牛乳とアイスクリームが大量に入っていて、
無料でいつでも何個でも自由に食べて良かった
太っ腹だと思った
 
代わる代わる助産師さんがやってきた
一人だけGoogle翻訳を使って話してくれた
残念ながら設定が中国語だった
散々中国語で話を聞いた後に
「アイム ジャパニーズ」と申し出るのは結構勇気が要った
 
出産翌日に子どもの名前の登録をした
日本の様に退院後に市役所に届け出というシステムではなく、
入院中に手続きを済ませる方式は楽だった
 
出産翌々日の昼に産後36時間の新生児のチェック(採血など)を終えると、
急に退院おめでとうと言われた
(えっ)
プレゼントと言って大きなカバンを渡された
中に数々の試供品が大量に(本当に大量)入っていて嬉しかった
使い捨てニップル付き液体ミルクは超絶便利グッズだと思った
 
授乳指導で来てくれた助産師さんは、
授乳の仕方よりも私の顔を見て
「SHE LOOKS HAPPYやからFINE や!」
と言った
 
退院指導として助産師さんから食事についての説明を受けた
「ガスフードを食べなさい」と言われた
(ガスフードとは?)
具体例を聞いてみたが、
「私あなたたちが普段何食べてるか分からないから、説明できないわよ」と笑いながら言われた
(いや笑い事ちゃうがな)
結局何を食べるように言われたのかは、数年経っても分からないままだ
 
そういえば沐浴指導とやらはなかった
もらった書類に
「3日に1回バブルバスをせよ」と書いてあったが、
バブルバスというのも何なのか、いまだによく分からない
 
なんかもう、色々意味不明で退院準備を進めた
 
最終的に産後38時間ぐらいでチェックアウトしたが、
まだまともに歩ける状態ではなかった
病院のエントランスまで車椅子で移動して、
そこからは両足を引きずりながら般若の形相でなんとか帰宅した
 
以上、思い出す限りにアメリカ出産を振り返ってみた
無事に子どもが産まれてくれて何よりだが、
それなりに味わい深い経験となった
貴重な思い出として、今後も大事にしていきたい