※続き物です
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※illustration(挿絵):祭さん
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「へぇ……桜の見頃には、間に合うたらええね」
日を改めて慶喜さんへお詫びをさせて頂きたい。
夜になり翔太くんの容態が落ち着くと、私は秋斉さんの部屋を訪ねていた。
昼間 剣山に活けたばかりのまだ堅い枝色の蕾。それを遠く見つめて曖昧に言葉を濁した秋斉さんに、静かに重く胸がざわついた。
「……聞いてへんの?」
聞いていない、なにも……。
言葉の続きを聞くのが怖い、だけど知らずにいるのはもっと怖かった。
辛うじて「…いえ」とだけ答える声は、まだ知らない真実に怯えるように、弱々しく震えていた。
まるで そんな私に心の準備をさせるみたいに、秋斉さんはしばらくの沈黙を挟んでから、扇子の裏に溜め息を落とした。
「……慶喜はんは明日から、江戸に向かわはります。しばらくはあちらでの仕事になるさかいに…いつこっちへ戻りはるかはまだ…。……そやし、京を離れる前の日に○○はんに逢い状をかけはったそうや」
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今夜は雲が厚いのか、窓から月明かりが射さない。部屋の中はだんだんと深い闇に沈んでいった。
現代には無い、漆黒の闇。
その闇はまるで、体の内側にまでじわじわと染み入るように心に影を落とした。
慶喜さんと、このまましばらく会えなくなること。
仕方の無い状況とはいえ…あの日の幸せな指切りをこちらの都合で破ってしまったこと。
別れ際、何故かとても遠くに感じた 慶喜さんの笑顔…。
(………………)
私達がこの世界へ来た頃よりも、時勢は更に深刻になっていた。
彼が江戸へどんなお仕事で行くのかは私には解らないけれど。
もしも……もしもそこで慶喜さんに何かあったら、このまま……?
考えたくもないことが頭をよぎってゾッとする。いつもは平気なこの部屋の暗さと静けさが、急に寂しく恐ろしいものに思えた。
もつれるように燭台に駆け寄ると、ガタガタと灯りをともす為の道具を取り出す。
(ーばか!そんなこと……あるわけない…っ)
血の気を失って焦る手指は要領を掴まず、何度も何度もやり直す。
自分に叱咤しながら、ぎゅっと指を握り込んでも、一度生まれた不安や恐ろしさはなかなか消えてはくれなかった。
「……○○…?」
背中からの掠れるような声にはっとした。
振り向くと、眠っていたはずの翔太くんがいつの間にか薄く目を開いてこちらを見ていて、私はようやく渦のような闇の中から現実の世界へ返ることが出来た。
「あ…、…翔太くん………ご、ごめんね、起こしちゃったよね」
「○○……」
「お医者さんから薬を預かってるの、翔太くんが起きたら飲ませなさいって…。まだ、どこか辛い?」
何かを誤魔化すように早口でまくし立てている自分を、頭のどこかではおかしいと思っているけれども、止められなかった。
「…いや…大丈夫」
「だめだよ…?ちゃんと教えてくれないと…」
多分ひどい顔をしているから、翔太くんにまともに向き合えなくて、垂れる前髪に隠れるようにしていた。
そのまま一回分の薬と水をお盆に用意していると、翔太くんが身体を起こそうとした。支えるように慌てて手を添えると、その背中がびくりと波打った。
「あ、ごめんね、寒かっ…」
「ー○○」

お布団の足元の綿入りへ伸ばしかけた手は、翔太くんの熱い指にぎゅっと握り止められた。
「………っ」
驚いて息を止めてしまう私を、熱の籠る瞳がぐっと捕らえていた。
「…翔太、くん…?」
「ごめん……」
「……え…?」
「ごめんな、○○…」
ごめんと謝る翔太くんの瞳の色が、あまりに深刻なので戸惑った。
「…どうして…謝るの……?知らないところで翔太くんが倒れて苦しんでいる方が、私はずっと嫌だよ。…ここへ連れて来てくれて、感謝してる…!」
「でも、お前今日……、慶喜さんと…」
『慶喜さん』……その名前を聞いた途端に、先ほどの不安の欠片が胸に突き刺さった。瞳を揺らしてしまう私を、翔太くんはじっと見ていた。
「ごめんな…。この部屋に運ばれた時、藍屋さんとお前の話す声が聞こえてたんだ……。なのに、額に乗せられたお前の手を、離してやれなかった…」
「そんな………そんなの、当たり前だよ…!あんなに熱があって…」
「違うんだ」
「違わないよ…!!」
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泣きそうな顔をして、少し怒ったみたいに。
必死に俺を庇ってくれる○○を見ていたら、心の中の固いものが溶けていくような気がした。
俺の精一杯の勇気をちゃんと、○○に受け止めてもらえるように…。
目を合わせながら、ゆっくりと意識的に目元を和らげていく。
「違うんだ……。身体は確かにきつかったけど、それでも振りほどいてやらなきゃいけなかったんだ…。俺……」
(お前が俺から離れて……どんどん慶喜さんの方へ行ってしまうのが、怖かったんだ…)
優しい○○の足かせになりそうな言葉は、音にはせずに飲み込んだ。
それでも、自分の気持ちをこうして認めてやることで、どろついた胸中がすっと晴れていくのを感じた。
「○○。今からでも、慶喜さんに会うことは出来ないのか?」
「ー!………もう、今日は…」
「でも、会いたいんだろ…?」
「……でも…!」
「…俺なら、もう大丈夫だよ」
○○の膝に乗せられたお盆から、黒い粒状に丸められた薬を取って口に放り込む。
「ーーー!」
「しょ、翔太くん…っ!」
悶絶する俺に慌てて水を差し出す○○。
受け取って、嗅いだことのないやばい臭いの薬を喉の奥に流し込んだ。
「ほら…、…こうやって、ちゃんと大人しく寝とくから…」
涙目の苦い顔で笑う俺の姿が可笑しかったのか、○○は少しだけぎこちなさを残しながらも、くすりと小さく笑った。
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「…旦那はんなら用がある言うて出ていかはったけど…?」
再び秋斉さんの部屋を訪ねると、通りかかった番頭さんがそう教えてくれた。
私から慶喜さんに直接連絡をとれる術なんてない。秋斉さんに聞けばもしかしたらと思っていたけれど…。
「なんや……悪化でも しはったんかいな?」
「あ…いえ、おかげさまで、だいぶ落ち着いたようです。ご迷惑をお掛けして…申し訳ありません」
翔太くんを心配してくれてか、それとも病が置屋に広がることを懸念してか番頭さんはどこか探るような目をしていた。
慶喜さんや秋斉さんが特別過ぎるだけで、毎年のように薬の効かない病が流行るこの時代を思えば、番頭さんの態度は決して厳しいものではなかった。
翔太くんが運び込まれた時……
迷わずにここで看病をしてあげなさいと言ってくれた慶喜さん。私が翔太くんの傍に付いていられるように、花代はそのまま秋斉さんへ預けてくれたのだと聞いた。
今日の為に……私の為に、忙しい中に時間を作ってくれたことなど少しも…触れもせずに。
胸の奥に水が染み入るように、慶喜さんへの感謝と会いたい気持ちが溢れ出して、それがそのまま涙になってまぶたに滲んだ。
「○○はん…?あんさん、上着なんか持ってどない…」
「…ごめんなさい私…!少しだけ街へ出させてください」
「な、そないなことわてが許可出来るわけ…!」
「秋斉さんへは帰ってきてから必ずお話します…!罰でもなんでも受けますから、今日だけ、許してください…!」
番頭さんは両手に何枚もの畳まれた着物を抱えていた。私は ばっと頭を下げると、強い制止の声を振りきって、宛もなく暗く冷たい夜へと飛び出した。
……4話(最終話)へ続く