文机に向かう秋斉さんの背中に頭を下げて襖を閉めた。


玄関に続く廊下の先からはさあっと雨の降る音が聞こえる。



お座敷から帰る途中、突然降り始めた雨。ひとつひとつは小さいけれど空から隙間なく降って来て地上の隅まで濡らすような、そんな雨だった。


今も、外出から戻られた秋斉さんに温かいお茶と、もし濡れていたらと思い手拭いを持って来たところだった。

幸い、出先で傘を借りたという秋斉さんは足元以外は濡れなかったらしく、お盆からお茶だけをおろして部屋を出た。




(…大丈夫かな)


まだ帰らない先輩のことを思って、玄関の暗闇を見つめた。傘を持ってないはずだからと男衆の人が迎えに行ってくれたけれど…。




秋斉さんの部屋の前に立ち尽くしたまま、玄関を見つめてぼうっとそんなことを考えていると、丁度外から水を跳ねるような、誰かの足音が聞こえてきた。



(ー帰ってきた!)


良かった、と安堵の息を吐き出す途中で私は停止してしまう。



「!……やぁ○○、こんばんは」



置屋の戸から駆け込んで来て、私の姿を見付けると驚いた顔をした。
軽く羽織の雨を払いながら、観念したように私に向かって苦笑いを見せたのは、ずぶ濡れのー。



「け…!慶喜さん!どうされたんですか?!」


部屋のすぐ前で上げた声は、当たり前にその中にいた秋斉さんにも届いた。
目の前の襖が、この部屋の住人らしくもなく荒く開らかれたかと思うと、出てきた秋斉さんの身体がぐっと近付いた。


「わっ…」


胸元に上げたお盆を盾のようにして、思わず後ろによろめいてしまうけれども、秋斉さんはそんな私には構わずにずぶ濡れの慶喜さんを確認して顔をしかめた。


「何を阿呆なことを…!自覚しなはれ」



叱るようにそう言った後、視線はようやく私に移された。


冷静沈着な楼主が、こうして慶喜さんにその静けさを乱されるのを見たのは、もう何度目かになる。

慶喜さんが言うには、最初にその場に居合わせた時の私の対応が秋斉さんの意図を良く汲んだものだったらしい……。慶喜さんが原因で秋斉さんが振り回される時、秋斉さんは何故か私をその対処要員として参加させてくれるようになっていた。




秋斉さんは何も言わずに私の目を見る。
私がこくこくと頷きながら「はい」と答えるのを見届けると迷わず炊事場へ入っていく。多分、足の泥を洗って温めるお湯と、火桶の用意だ。



「慶喜さん…」

「○○」



私は私で、秋斉さんに感謝している。


慶喜さんが無茶をする度に、平常心を保てなくなるのは、もちろん秋斉さんだけじゃない。彼の横で私も息が止まるような思いをしている。


だけどそんな時に、隣であの秋斉さんが慌てているのを見ると、不思議なことに少しだけ冷静になれた。


それに、こうして秋斉さん公認で慶喜さんのお世話をやけるのって、自分が慶喜さんに距離の近い人物だと認められたみたいで……。


それは私にとって、とても幸せなことだった。





私は廊下の端までの短い距離を早足で歩く。お盆を下に置いて手拭いだけを持つと、ずぶ濡れの慶喜さんに手を伸ばした。


髪や肩、胸についた雫を払うように拭いた。彼の腕に触れている左手がひどく冷たい。


「こんな寒い日に、こんなに濡れて…」

「……」

「一体、どうされたんですか…?」



表面の雨は拭えても、冷たい風雨に晒された着物や体は芯から冷えていて冷たい。


私は手拭いを体の横に挟んで、慶喜さんの驚くほど冷えた両手を包むように持ち上げた。

擦っても擦っても体温が戻らない、まるで凍ったような冷たさで……。

温めたい一心でその手を擦りながら口を近付けて、はあっと息を吹きかけた。けれど一向に体温が戻らない。なんだか泣きそうになったところですぐ目の前からの視線に気付いて顔を上げた。


「……」

「……!」


窺うようにこちらを見ていたその目は、私が息を詰まらせるのを見るとふっと柔らかい形に緩められた。


「ーあ…あの、私…」


秋斉さんのおかげで一度は冷静になったはずだったのに。冷たく濡れた慶喜さんに触れたら、後はもう体が勝手に動いてしまっていた。


「私…」


身体を拭いた後、お湯を用意しに行った秋斉さんがまだ戻らないなら、何か掛けるものでも持ってきて慶喜さんに羽織ってもらえば良かった。


少なくとも、慶喜さんの手に馴れ馴れしく息を吹き掛けて温めようとするのが、正解じゃないことだけは明らかだった。



「……っ」



自分の失態に気付いた途端、羞恥で内側からじわじわと熱くなる。

いっそからかってくれた方が楽かも知れなかった。でも慶喜さんは何も言わずに私の出方をじっと待っている。



「ごめんなさい、何やって……あの、何か持って来ます…!」



私は慌てて捲し立て、躓きそうになりながら慶喜さんに背中を向けた。


「…○○」


そんな私とは対象の、落ち着いた声に名前を呼ばれて振り向いた。
振り向いた先では慶喜さんが「ここに戻っておいで」と言わんばかりに腕を広げている。



「……な…」



予想もしていなかったことに言葉が続かない。目を見開いたまま動けない私を慶喜さんも何も言わずにただじっと見つめていた。



「……そ、そんなことしてる場合じゃ……」



振り向いた姿勢のまま、うううんと首を弱く振りながら言った。だめだ、これじゃ小動物並の弱さだと自分で思った。



どうしてなんだろう。
口数の少ない慶喜さんからはいつにも増して引力を感じる。


私はまるでその力に引き寄せられるように、一歩二歩と、慶喜さんの元へ戻った。



「……慶喜…わっ」


今度は物理的に、腰に回された腕によって身体を引き寄せられた。私が空けていた僅かな距離は無くなって、目の前に慶喜さん のきれいな顔がある。


玄関の段差がいつもとは逆の高低差を作っている。私が慶喜さんを少し見下ろすようなかたちだった。



「本当に…こんなこと…してる場合じゃ」

「ーこんなことじゃないよ」



あまりの近さに、彼の顔に息がかからないようにと注意を払って小さくそう言うと、即座に否定された。



「俺にとっては “こんなこと”……じゃないんだ。好きな娘が生まれた日に、こうして抱き締めに来ることは、すごく大事なことなんだよ」







慶喜さんが発した言葉に、頭が白くなった。




今日は私の誕生日だった。




お座敷に出る前、花里ちゃんや菖蒲さん達にお祝いをしてもらった。学校の休み時間に友達にプレゼントをもらった時のような、温かくて懐かしい気持ちになった。


昨日は京を離れている翔太君からお祝いのお手紙が届いていた。小さな頃から変わらずに見守っていてくれる、私にとって世界一の幼馴染み。




だけど、慶喜さんに私の生まれた日を話した覚えは無くて……



「どう、して……」


考えていたことの欠片が知らない間に口から零れていた。


そんな 私を慶喜さんは楽しそうな顔をして見上げている。

その柔らかい髪の毛は冷えて湿り、肩や胸の服地には冷たい雨の跡が染みていた。



ここ数日で急に冷え込んできた京の夜。

その雨の中、降られることも厭わずに、こうしてここへ来て、私なんかを抱き寄せて楽しそうに笑っているー。



そんな慶喜さんを見ているとじわっと涙が浮かんで来て、目の奥の熱さにつられて鼻がスンと鳴った。






「どうかした?…抱き着きたくなったら、いつでもおいで。」


「ーっ」


「おおっと…」



飛び込むように慶喜さんに抱き着いた。


今日は私の方が背が高いから、慶喜さんの冷たくなった髪が頬に当たる。


「○○、苦しいよ」


私の着物に口元を覆われながら嬉しそうに笑う慶喜さんの声。


愛しくて堪らなくなって、もっとぎゅうっと抱き締めた。


「慶喜さん」


「うん、○○」


「慶喜さん」


「おめでとう、○○。間に合ったかな、お前の生まれた日に…」


今が何時かなんて知らない。もう日付が変わったくらいの時間かも知れない。だけど慶喜さんを抱き締めながら、私は何度も何度も頷いた。




(大好き…大好き……大好き、慶喜さん)




溢れだす想いを伝えるように慶喜さんに巻きついていると、後ろから扇子でペシペシと後頭部をはたかれた。


「これ。玄関先でいつまで何をしとんのや。火桶と着替えを用意したから早うその阿呆を連れてきい」



そうだ。

秋斉さんの言う通り早く慶喜さんを温めないと…と真剣に思うのに、まだこの愛しい人から離れたくない。




「ーごめんなさい 後10秒だけ」


制止も訊かずに一層しがみつく私に


「じゅうびょうってなんや……これ」


秋斉さんは呆れたように扇子の先で私の肩を小突いた。



慶喜さんは私の腕の中で、くすぐったそうにクスクスと息を漏らして笑っていた。






















(おしまい)





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今日がお誕生日の貴女に

こっそりムッツリ贈らせていただきます(*´ェ`*)♡♡





いつもありがとうございます☆

そして、

お誕生日おめでとうございます!!♡








この後は、服を着替えて火鉢の横に座った慶喜さんから、秋斉さんの小言をBGMにお誕生日の贈り物を授与されるのでしょうか…(*´艸`)♡イイナ♡





楽しいお誕生日をお過ごしください、
まあこさん♡(言っちゃった…)