娘ジントヨー | 鉄母の 子育て鈍行列車 

鉄母の 子育て鈍行列車 

鉄道関係のことが好きな母親を勝手に「鉄母」としました。
旅行や鉄道関係から、英語、教育、発達障害と、鈍行のおかげでネタの中身が寄り道いっぱいです。

今日の「ちむどんどん」。

暢子が豆腐屋さんの智に「豆腐は?」

と聞いて忘れたの怒ってるちんぷんかんぷん

話を和彦君が上手く退場させて、妹の

歌子さんと智の2人舞台に。


智兄さんが話があるって言った後に

歌子さんが歌った歌は、沖縄の新しい

(と言っても40年少々前に発売された

沖縄民謡)民謡です。ずっとずっと

ドラマの後、聞いたことあるのに

何だったっけ?と思い出せず笑い泣き


我如古より子さんが唄う、題名は

「娘ジントヨー」。一番の歌詞が

今回、智に対して素直に現した歌子の

想いをそのまま唄った訳ですね。

やっぱりうちなーんちゅは、女性が

先に現す方が多いのかなぁ。

(いわゆるあの石垣島方面のミンサー織り。

あれも、想う殿に女性が贈る柄です。)


歌子さんが外で聞いてしまってるのも

知らずに、智は暢子にフラれてから

歌子に乗り換えたなんて言ういじわるも

ありました。歌子は智がホントは暢子に

想いを寄せてたことも知っていたのです。

けど、昔はあの運動会の頃に渡された

お手製のメダルの事もあって、長いこと

歌子は智を憧れて、想いを秘めていた

訳です。対して智は比嘉家の面々とは

旧知の仲です。賢秀と同級生だし、

東京で独立してからは和彦ともよく

付き合う(史彦先生と沖縄に来た時の

運動会事件もよく知ってる)、まさか

比嘉家の下2人姉妹でぐるぐるなんて

思わなかったろうけど爆笑


でも、だからと言って智は暢子から

歌子に乗り換えた訳じゃない。

きちんと暢子のことを諦めて、しばらく

フォンターナに納入業者で行かないかん

時には、淡々としながらも戸を閉めると

気落ちしました。そりゃそうよ!


そんな時に、小さい(ちゅらさんの

時の恵達がずーっと『ていがくねん

(低学年)』扱いされたけど、歌子の

事は馴染みの妹レベルだったわけで。

それが、公民館に民謡を習いに行ったり

暢子と和彦の披露宴にはまさかの一芝居

打って沖縄から東京までうまぁく

連れてきたり。暢子が東京で店を

出した時には手伝う為に一念発起して

上京したり。大胆な一面にも智は

案外驚かされたんだと思います。


歌子は自分が病弱で、何をやっても

うまく行かないし、どれだけ生きられるか

悲観的で。運動会の時のメダルがずっと

心の支えで智を好きになったけど、

想いが叶う訳はないと諦めてた。


だけど、オオタニワタリを取りに行った

山の中で、歌子の思い込みに智が

真面目に(やや突っ走る面もありますが)

歌子にきちんと向き合っていたのを

どうしても嬉しくて、今日は寝たくないって

言う数日前の歌子。智は歌子の歌の

きれいさと、ギャップと、一生懸命さを

きちんと見ていたよ、簡単に乗り換え

だなんて揶揄しないでよ、ね?


相変わらず暢子は鈍感だけど、

なるほど娘ジントヨーで気持ちを

伝えて、智は歌子の想いに応えた。

素敵です。


歌で返すって、昔から日本でも沖縄でも

あるんですけど、おしゃれねラブ


娘ジントヨーをよく調べたね。


久しぶりに民謡聞いたら沖縄に

行きたくなりました。