鉄母の 子育て鈍行列車
本日お盆の送り日。朝一番は私の実家へ
お参りに。
お昼過ぎには図書館に行ったあと
夫の実家のご両親と我が家だけで
お墓参り。
その後近所のガストでお昼を食べて
夫の実家に立ち寄りました。
大分リビングに物が置いてあったのが
減ったので足元が危なくなくてホッと
しましたが、夫の元いた部屋も、夫の
妹さんが使ってた部屋も、キッチンの
角の見えないところも何か知らん物が
多くて驚きます。
本日、娘が元は夫の部屋にある本棚から
何冊か本を見ていたのですが、目一杯
詰まっているので、目が疲れてしまいました。
「持ってって」と夫の父は言うのですが
読む気にならない、ピンと来ない本なんて
手にも取りたくないですからね。
だんだん私も図太くなってきました。
「読む気にならない本なんて、ブックオフで
売ってしまえば1冊10円でも買い取って
くれるからそれこそブックオフに色々
まとめたほうがいい」と言い放ちました。
本棚のうち、多分土木系の本なら
大学が土木出身の夫がきちんと決めた方が
いいと思いますが、小説たちはご両親が
売りに行ったほうが良いと思ってます。
あと、本だけじゃなくトイレットペーパーが
7袋くらいあります。お二人でしか現在
暮らしてないのにそんなにいる??
買う必要がない物が夫の妹さんのいた部屋を
物置部屋にしているのでもったいないですよね。
あと、一番気になったのがテレビの音量が
大きすぎてビックリ!
あれ、認知症の原因になります。
集音器ではなく、きちんと耳鼻科に
行って補聴器の相談をし、眼科でメガネの
処方箋を書いてもらえるように耳鼻科でも
処方箋があるようなら書いてもらうなり
補聴器のことをきちんと相談した方がいい
と感じました。
私の父の兄姉に2人も聾の人間がいたので
特に耳のことは気にしてしまいます。
聞こえることを大切にしてほしいです。
ただ、私から直接言うのは何とも難しいですね。
だって、どうしても食べ物の趣味が合わない
もんで😅時期じゃないりんごをもらって
捨てたくなるし、食べにくい明宝ハムは
本気で置いてきたくなるけど、りんごも
ハムも、そして小さめの梨も、それぞれ
食べ物に罪はありません。
ならばどうするか。
さっさと順位を早めて差し込み印刷?
ではないけど、先に食べてしまうしかないです。
昔は嫌々食べ物を触っていました。
夫の実家のセンスは合わないです、これからも
ずっとね。ですが、怒るだけ疲れるので、
それだったらうちにのさばる時間を減らす
以外に方法はありません。(ホントは夫の
妹さんや弟さん達のうちに送りつけたい
気分にもなるし、それこそ後でご実家に
宅配便で「みんな舌に合わないので
申し訳ないですがすべてご両親にお返しします。
今度から何もいらないですし、もらっても
その場で捨てますからよろしく」とやりたい
ですよ。でもそれもできません。)
来年で結婚して20年になります。
変化しましたよ、その間に。
いらないおやつに金かけるより、
必要な補聴器を購入してもらいたいと
切に願ってしまった私でした。
お互い実家が近すぎるので、帰省という
概念がないのですが、それでも年は取ります。
親の変化を、ちょっと気にする必要に
迫られてきました。
相変わらず夫のご両親は、「めんどくさい」
とか、「どうしたらいいかわからない」を
連発します。自分で質問しようとか、
調べてやってみようとかする気がない様子
なのが、一番気になるんです。
やれるとこまで自分でやろうと思ったことが
ないのかな?
やはり途中までは知らない人でしたから
わからないもんです。

手芸は、私の両親がミシン糸加工業を
していたので、糸巻き屋の娘が縫い物
できないのって何か言われそうって変な
妄想(私現在45歳ですが、私より上の世代で
例えばお家が魚屋さんだと魚詳しくないとか
食べられないってボロクソ言われるとか
あったから、糸屋さんなのに縫い物できない?
って言われることがあったら嫌だなと)に
怯えてしまった側面もありました。
だから、小学校4年生で手芸クラブに
入り、2年活動。6年生は皮でつくる
レザークラフトクラブで活動して
いました。とても楽しかったですよ。
高級なバッグの店舗や、名古屋だとコメ兵の
陳列棚に行くと、値段は見ると疲れますが
いいものを見ると「どんな職人はんがこしらえて
おいでるのか」が気になります。
手芸が好きだから、自分で手縫いでもミシンでも
縫えると思ったようなバッグや袋が
出来るし、ちょっとしたほつれは直せるし
何より今は100円ショップで手芸用品が
買えるので、ビーズでキーホルダーとか
ヘアゴムとか作るのが楽しいです。
バレッタの土台だけ売ってたので、たまたま
小さいタイルを見つけてそれを貼り付けただけの
オリジナルのバレッタも作りました。
別に売ろうとは思わないですが、子供達に
ちょっとしたものを作るのに面倒だと
思ったことはありません。
代わりに、私は工作が大の苦手です。
外斜視なので立体視ができず、平面は
見えてもノコギリで真っ直ぐ切ってるつもりが
真っ直ぐにならず、木工は小学校で諦めました。
だから、生地は裁ちばさみで切れるので
いいですが、実のところ料理の際に包丁を
持つと真っ直ぐのつもりですが、どうも
ハス(=斜、ななめ)になっています。
水平に動かしているつもりですがやはり
ななめのことも多く、私には無理だと諦め
ました。



名古屋市営地下鉄に、数年前から
地下鉄一日乗車券を改定して、通称
24時間券が出来ました。
確かに、午前中に出かければ一日乗車券の
意味は出ますが、午後からだと少々もったいない
ので、仕方ないけど片道切符を買うしかない
と感じますよね。
ですが、娘が中学校2年で職場体験からの
伏見の科学館へお出かけした際にこの切符を
配給されてあちこち出かけてました。
個人的にはマナカ位しか使わず、あとは
ドニチエコきっぷ(8日と土日祝に620円で
地下鉄市バス乗り放題切符)ばかりを使って
いました。
先日の7日。あれこれ行く用事をためたら
私にとっては名古屋市内をものすごい距離
西から東へ行ったり来たりする事が予想
されました。
そこでマナカの残高を減らすよりは、
この24時間券を使って行き来した方が
いいかも?と購入。また、よく券を見ると
翌日の10時半までが有効期限です。
翌日はパートに出勤。あれ?行きだけでも!?
これ、出発時間(いつも地下鉄に乗る時間)が
午前9:50ならば、使える!いいねぇ〜!
片道だけ、24時間券のお世話になりました。
だから、7日のお出かけと8日の行きの分まで
合わせると630円も余分に得しました

24時間券、中々いいですね!
地下鉄だけで何とかなるならば、
覚えておくのもありです。
再放送も終わってしまって1年以上経つのに
今さら感満載ですが、英語タイトル(どころか
毎話の流れ)を最初の5話だけ書いておらず。
なので、全部録画してあるのですが
感想を書くのもなかなか出来ず。
カムカムの第1話。
アンコちゃんこと橘家に安子(やすこ)ちゃんが
1925年に誕生しました。
あっという間に一分で尋常小学校の3年に進級
した様子。
尋常小学校には、同じ商店街の豆腐屋のおきぬ
ちゃんと、お金持ちの例の勇ちゃんが同級生。
勇ちゃんは「ラジオで野球の放送聞きたくなったら
うちで聞かせたってもええで!」と自慢げ。
おきぬちゃんとアンコちゃん達の住む商店街の
「貧乏庶民」とはわけが違うと自慢げです。
実は、アンコちゃんが生まれた1925年、
(大正ラストの年)日本ではラジオ放送が
始まりました。
9つのアンコちゃん達、つまり昭和10年
(1935)を過ぎたあたりには、お金持ちの
お家にはラジオが家にあったのですが
まだまだ高嶺の花。
ですが、荒物屋のケチベエ(吉兵衛さんケッチい
から、商店街の町内会長をしてるのですが、
アンコちゃんのおばあちゃんでさえも
)さんが
ラジオを仕入れて、売り物とはいえこっそりと
うちの側に寄せてこっそりと聞いてます。
やる気のない(あんこ屋、つまり和菓子屋の
跡を継ぐ気のない)アンコちゃんの兄、算太が
まさか、ここで盗人することになるとは!
ある朝、アンコちゃん「おはようございます!
おじいちゃんいる?」と、店の裏の工場に
お父さんや住み込みの職人さん、おじいちゃんを
探すと声をかけます。
理由のわからない工場の男衆(おとこしゅう)達、
「大将?」と探します。
職人さんが探してる中アンコちゃんの目が
おじいちゃんを捉え、「おじいちゃん、
ありがとう!ラジオ、買うてきてくれたんや!」
と、大きいラジオと手紙を持っておじいちゃんに
お礼を述べます。
工場の職人さんやお父さん、おばあちゃんに
お母さんも、ラジオの天気予報でさえも
「へえ!ラジオって今日の天気も教えて
くれるっていいねぇ!」と楽しそう。
対して理由がわからず大将の顔は困惑。
大和田伸也大将、杵太郎さんは渋い声で
困ってましたね。そばにいた息子、
金太さん(1年後「どうする家康」で
家康殿の金の兜セットを借りて壮絶な
最期を遂げてしまうと思いませんでしたが!)が
「何の手紙じゃ?」
「こんな字、おかしいなぁ。
まさか、おい!算太!」
そう、算太兄ちゃんが荒物屋のケチベエさんの
店から、ラジオをかっぱらってきました!
ですが、ケチベエさんの奥様が、アンコちゃんの
おつかいの際に妊娠後期でそろそろ生まれる
様子が先に映っていた後の、金太算太親子で
荒物屋に謝りに行っていた様子からの、
渋い声で大将が、お祝いのおまんじゅうを
こしらえて荒物屋に登場し、「赤ん坊の
誕生、おめでとう!」と言うもんで、
ケチベエさんも苦虫潰した顔して
今回だけだと言い放ちました。
橘家の3代は皆でニヒヒと苦笑いして
いました。
ラジオの威力を知った橘家3代たち。
「みんな、もちやまんじゅうを食べる時と
おんなじ顔してラジオ聞いとったのぉ」。
幸せそうな顔してラジオを聴いていた
たちばなの面々達を思い出し、大将は
決断しました。
続きはまた!

