娘が、二学期に行われる校内合唱コンクールの
指揮者にオーディションを受けようと思うと
考えを聞きました。
「あんなぁ、私、指揮者のオーディション
受けてみよかな~」
最初は、「中学校はおろか、小学校の敷地にも
入るのが恐る恐るだったのに、9年経ったら
リーダーっぽいことやってみる気が起きるように
なったとは、娘ながら成長したもんや!」と
考えていました。
しかし、あとに続く言葉があるんです。
「2年壇上から歌ってわかったんやけど、
私器楽部(←娘は小学校後ろ3年間器楽部に
いました)では気づかんかったんやけど、
壇上からやと情報量多いんよ!」
逆に指揮者の立場を想像すると、一人だけ
観衆にお尻向けてますね。ということは、
娘や私のようなクセの強い人は、ガヤが多いと
誰を見たらいいか分からなくなる上、指揮者も
視線上の都合、観衆に埋もれる可能性が
あるんです。
私は小学校の頃合唱部で、小学校の音楽会も
指揮は全て先生でした。だから、中学校で
讃美歌コンクール(←うちの学校クリスチャン
なので)で指揮が生徒という事に最初はとても
違和感を感じました。
でも、大概級長(学級委員)かグリークラブ
(合唱部)のメンツが指揮する事が多いので
結構まとまるものです。
その頃の記憶で先生が指揮する姿を見て
いたので、いわゆる「一般的な」指揮を、
「違う服の人(先生その時普段よりいい格好
するから)」がする様子で見ているので
指揮を振るのも思い出せました。
しかし、娘は小学校で「器楽部」。楽器の
演奏の指揮を見ている暇があまりなく、
半ば周りの雰囲気に合わせて最後まで弾く
感じだったようです。
となると、指揮を練習で見るのと本番の
様子が違う合唱で、なおかつ制服と先生の
服があまり変わらないとなると、視覚的に
確かに「指揮を見て!」って、結構きつい
のかもしれないと想像できました。
また、一人だけ向きが違うと言えば、
上地雄輔君(俳優、元横浜高校野球部捕手)。
上地くんが「お前、何でポジションに捕手を
選んだんや?」って聞かれた場面。
「一人だけ向きが違って、テレビと一緒で
選手みーんなの様子がわかるでしょ?
全体が見れて、めっちゃいいの!」と。
確かにあんな広いグラウンドで、あとの8人は
キャッチャーの方を向いてます。
キャッチャーは監督に次ぐグラウンドを
見渡せる現場のポジション。全体を見て
動くのが得意な人に、捕手はうってつけ。
この話を思い出して娘に話したら、
何か納得してました。壇上だとその他大勢で
自分がわからなくなるけど、指揮者は一人
向きが違う。全体を見渡せるし、余計なものが
目に入らずに済む。なるほど。
しかし、曲は決まり、いざYouTubeでたくさん
指揮教授方を見ても、四拍子を振れない!必ず
三拍子になる謎が解けません
これではまずい。
オーディションどころか、指揮台に上がるのを
断られてしまう。(オーディションは学期末
あるそうです。今日、オーディション受けると
報告する日と言ってました!)
四拍子のリズムは打てると言ってました。
そうだ、シシド・カフカさんの、あの
「ハンドサイン」はどうだ?
旅するスペイン語でアルゼンチンに「帰った」
際に学び、オリジナルの指揮を考えて自身の
バンドで演奏しています。
「あの指揮をしなけりゃ法律違反」という
ことはないです。
ならば、左右一緒に手が動いてしまうのを
逆転の発想で活かせる、ハンドサインを
合唱にも導入したらどうか?と。
在りし日の小澤征爾先生のように、左右の手を
使い分け、全身で演奏のコントロールをしたのも
素晴らしいです。
しかし、頭は使わねば。
皆と同じことは娘にはきついです。
根性で、ばかりも言ってられません。ならば、
シシド・カフカさんのあのハンドサイン。
全身で指揮をしています。
リズムだけつま先の時もあります。
でも、両手が揃って動いてしまうならば
それを逆手に取る作戦で行くのもありでしょ?
オーディションの結果落ちたら納得するから
と言ってました。
ホントは通過してほしいですがね。
ハンドサイン。2人で研究してみます。
大きくなったもんです。