もちろん、岩泉線廃線前各駅めぐりも表面上は最後になります。
岩泉線は元々国鉄時代に国鉄小本線として計画された路線であり、当初は茂市駅と小本駅(現三陸鉄道北リアス線小本駅)を結ぶ予定でした。
しかし、1972年に岩泉駅まで延伸したのを最後に、工事費用が賄えなくなり延伸を断念。
結局、茂市駅から岩泉駅までしか開通できなかったため、小本線から岩泉線に改名し、今に至ります。
そういう経緯もあり、本来は途中駅の予定だった岩泉駅が、終着駅となってはや30年以上。
でも、往時を彷彿とさせる立派な駅舎が今でも健在しており、嬉しいことこの上なく。
ただ、もはや鉄道駅として使われることはなくなってしまうわけで…寂しい限りです。
駅入口の右手にある岩泉線開通記念の石碑です。
昭和47年(1972年)2月6日に開通したことがわかります。
駅舎の中の様子。窓口方面から。
窓口と逆側から。
運賃表。何故かぼやけてしまった…。
岩泉駅は東北の駅百選の選定駅でもあります。
残念ながら廃線になると同時に廃駅になるので、この称号も過去のものになりますが…。
駅舎からホームに繋がる扉。
今では絶対に開くことのないこの扉、ものすごく冷たく感じてしまうのは自分だけでしょうか。
昔はこの扉を潜り抜けて、岩泉線で移動された方がたくさんいらっしゃったはずなんですけどね…。
今度は逆にホームから駅入口方面。
観光客が岩泉線の終点、岩泉駅まで辿り着き、ホームから降り立って感動するシーンだったはずなのですが…。
もはや、二度とその感動を味わうこともできなくなってしまいました。
振り返って、ホーム方向に上がる階段。
ホーム全体を外から。右側が駅舎。中央辺りにあるのが上述の階段。
ホームに上って、まずは駅標。
終点を示す、片方しか行先が表示されていない終着駅の駅標が大好きなのですが、これも見納め…。
旧式のホーロー駅標。
国鉄といえば青字に白文字ホーローですが、岩泉駅は白地に黒文字のホーローと、ちょっと珍しい。
名所案内。岩泉の名所である龍泉洞はもちろんですが、三陸海岸にある陸中海岸国立公園も示されています。
これも小本駅までつながっていたら書かれていなかったんでしょうね…。
そして、この駅経由で陸中海岸へ行かれた方ってどれぐらいいらっしゃったんでしょうかね…。
ホーム全景。二升石駅方面。
車止め方面。
ホームの端っこから車止め方向。
ちなみにここからだと車止めは見えず、200mぐらい歩く必要があります。
折角なので岩泉線の車止めがある線路の終端まで。
終端マニアとしてはたまらない一時。
駅を出て右手に少し歩くと、車止めまでの線路の下にあるトンネルを潜ることに。
トンネルをくぐってすぐ、丘を登ると車止めが。
岩泉線はここまでしか線路がないため、これ以上はどうあがいても鉄道では行けない。
こんな限界の限界を見るのがたまらなく好きなのです。
ちなみに、2008年2月に初めて岩泉駅を訪れた時の駅舎の写真がこちら。
この当時は写真を撮る習慣がなかったのですが、岩泉線を乗りつぶしたことが感慨深かったため、その想い出を残しておきたくて携帯電話のカメラで撮影したものです。
もちろん、この頃は普通に岩泉線が運行していましたので、列車で岩泉駅まで到達できたんですよね。
まだこの頃は乗り鉄を始めて間もない頃であり、岩泉駅に到着した時には、随一のローカル線と言われた岩泉線を完乗できたことに心から感動を覚えたんですよねぇ。
しかし、これが最初で最後の岩泉線乗車になることになるだなんて、夢にも思っていませんでした…。
今回、約6年ぶりに岩泉駅を訪れましたが、駅舎もホームも何も変わっているように見えなかったのです。
しかし…着実に廃線という日が近づいてきているのは、紛れも無い事実であり。
駅舎を見ながら、ホームに佇みながら、往時のことを、そして自分が訪問した時のことを思い出して、小一時間物思いに耽ってしまいました。
どうにかしたいけど、どうにもできない…そのもどかしさを感じながら。
…今回は、そんな気持ちに踏ん切りをつけるための旅路でしたが、やっぱり完全にはムリ。
でも、こうやって直接訪問して、自分の目で確認できたことが、自分にとっての何よりの財産で。
もう乗車できないことに対して悔しい気持ちはあるものの、ここまで愛情を注いで岩泉線を巡れたことが嬉しくて。
最終的にはここまでこれてよかった…という安堵感に包まれたのでした。
さて、これで岩泉線の廃駅めぐりは一応終わりなのですが…。
実は、先述のように小本駅まで延伸の予定だったため、中間駅候補だったところにちょっとしたものがあるので、次のエントリで紹介したいと思います。