スタッフに送った覚書のようなものを公開。
(自分・大衆の)思い込みをやめること。
(自分・大衆の)思い込みに気づくこと。
なによりも事実を優先し、事実に重きを置くこと。
(科学的・不変的・宇宙的)事実を優先すること。
瞑想は(自分の、代々の)思い込みに気づくのに役立つ。
セラピーは、(自分の、代々の)思い込みからの反応(感情)をはずすのに役立つ。
先祖代々からの思い込み(あなたの今の思い込み)をはずした先(本当の自由)には
私達の本来の質しか残らない。
本来の質で生きると、(思い込みに気づきながら生きると)
自然界が用意していた本来の人生が動き出す。
それと出会い、それを取り戻し、愛に囲まれて、しあわせに生きることは
生まれてきた生命としての責任。
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コロナで老人ホームの面談が禁止になり
実際に会えなくなった父親にリモート面談のあと、
絵てがみを描きました。

子供の頃は厳しかった父親が、
鬼のように見えていた時期もありました(笑)。
まあ、昭和のたたきあげの経営者の父親なので
色々と厳しい&理不尽な面で、
そう感じたんだと思います。
しかし、気が付けばずいぶん月日も経ちました。
今では父親も90歳です。
実際に会えなくなった父親にリモート面談のあと、
絵てがみを描きました。

子供の頃は厳しかった父親が、
鬼のように見えていた時期もありました(笑)。
まあ、昭和のたたきあげの経営者の父親なので
色々と厳しい&理不尽な面で、
そう感じたんだと思います。
しかし、気が付けばずいぶん月日も経ちました。
今では父親も90歳です。
まあ年もとってあのころの鬼は
ちょっと可愛い(?)、
弱々しいおじいいちゃんになった感じです。
だから、どこか子供を見るような目で父親を
見るようになっている自分がいます。
そして、いつのまにか、あの頃の鬼(?)を
愛しく感じるようにまでなっていました…。
でも、まあ、そんな風に思えるのは
私が、次男という立場だったからなのかもしれないなあとも思うのです。
というのは
兄に言わせたら、
そんな甘い人でないぞ!と…、怒られそうな気もします。
兄に言わせたら、
そんな甘い人でないぞ!と…、怒られそうな気もします。
まあ、兄がまだまだ許せないことがあるのは
長男と次男という兄弟の立場の違いなのだろう とも思うのです。
私よりはるかに、兄のほうが、
父親からの多くの期待やプレッシャーを受け、
また父親の理想に添わない部分の怒りを受け、
我慢してきたことも多かったのだとも思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし色々とあったが父親も含め、
それぞれが結局は別々の会社経営をしながらも
兄弟3人(妹も)わりと仲良くやってきたほうだとも思う。
(幼いころよりも、年老いてからの仲のほうが
実に大切だとも 私は思うのです。)
変わらない愛しさをずっとだれもにもっていたいと思う。
でも、それは簡単そうで難しいことだとも思う。
その痛みの解明と理解を
次の世代に伝え
次の世代がまた理解し、解明し・・・
を、繰り返す先に必ず答えはあると思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、その鍵は
父親の世代の痛みを理解し、解明し、その痛みの解明と理解を
次の世代に伝え
次の世代がまた理解し、解明し・・・
を、繰り返す先に必ず答えはあると思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ、そんな想いで起業したわけですが、
もうすぐ30年にもなる&
いまだに模索は続いている・・・。
だれもが自分自身でその鍵を見つけなければならない。
でもそれは 想像以上に単純で
想像以上に難しいのだ とも思います・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
まあ、
ナチュラルキッチンめだかで
恵方巻でも予約して 食べながら 考えましょう!

もうすぐ30年にもなる&
いまだに模索は続いている・・・。
だれもが自分自身でその鍵を見つけなければならない。
でもそれは 想像以上に単純で
想像以上に難しいのだ とも思います・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
まあ、
ナチュラルキッチンめだかで
恵方巻でも予約して 食べながら 考えましょう!

ウエストの絵てがみ教室の生徒さんから
自分のリュックを描いた絵てがみが届いたので
私は7年ほど使用している
BALLYの高かったリュックを描いてみました。
いい大人が、つたない絵を描いて交流する絵てがみの交流はなかなか楽しいものです。
文字だけでは表せない、気持ちの交流が持て、
感覚がやさしくなった気になり、キモチが癒される感じがしますし、
なによりポストを開けて
絵てがみを取り出したときのキモチは
LINE やメールなどでは体験できない驚きと喜びが
一枚のはがきから瞬間的に伝わってくるのが不思議な感覚です。
そして絵てがみの面白いところは他コミュニケーションツールとはまた違って
あまりプライベート感はありません。
ポストを開けてそのハガキをはじめて見るのは本人ではなく、
そこのご家族の方だったりもするのです。
そして
そんなオープンなところも絵てがみの楽しい点だと、
私は思っています。
自分のリュックを描いた絵てがみが届いたので
私は7年ほど使用している
BALLYの高かったリュックを描いてみました。
いい大人が、つたない絵を描いて交流する絵てがみの交流はなかなか楽しいものです。
文字だけでは表せない、気持ちの交流が持て、
感覚がやさしくなった気になり、キモチが癒される感じがしますし、
なによりポストを開けて
絵てがみを取り出したときのキモチは
LINE やメールなどでは体験できない驚きと喜びが
一枚のはがきから瞬間的に伝わってくるのが不思議な感覚です。
そして絵てがみの面白いところは他コミュニケーションツールとはまた違って
あまりプライベート感はありません。
ポストを開けてそのハガキをはじめて見るのは本人ではなく、
そこのご家族の方だったりもするのです。
そして
そんなオープンなところも絵てがみの楽しい点だと、
私は思っています。
気がつけば絵てがみ教室をはじめて28年。
10年以上、20年以上続けられている人も未だにたくさんおられ、
100名以上の生徒さんが習っておられます。
そして今、コロナの中だからこそ、絵てがみの大切さを痛感するのです。
教室に来なくても、また習っていなくても、
あなた自身の絵と文字の入ったはがきを
あなたにとってのだれかに出してみませんか?
きっと電話や LINE またはメールでは届けられなかった、
大切ななにかが 届く。
今 こんな時期だから・・・ こそ・・。
10年以上、20年以上続けられている人も未だにたくさんおられ、
100名以上の生徒さんが習っておられます。
そして今、コロナの中だからこそ、絵てがみの大切さを痛感するのです。
教室に来なくても、また習っていなくても、
あなた自身の絵と文字の入ったはがきを
あなたにとってのだれかに出してみませんか?
きっと電話や LINE またはメールでは届けられなかった、
大切ななにかが 届く。
今 こんな時期だから・・・ こそ・・。
そんな気がするのです。