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長女からのメッセージ
【あのころは】
スキやキライはあったけど
「てき」も「みかた」もなかったね。
てきやみかたを作ったのはだあれ?
。。。
いつの時代でも
戦争に加担していない人
加担していない時代
があったんだよなあ
心が還る
のは
元いた場所
はじめにいた場所
長文のスタッフに送っているメッセージ(※読みたい人だけ)
現在のフジテレビの問題を見て、
30年以上前に私が体験したことと何も変わっていないのだと感じました。
当時、私は東京・銀座で働いており、地位のある人や芸能人、政治家などと一緒に飲む機会が多くありました。
その中で目にした出来事の数々は、今回のフジテレビの問題と本質的に同じだと思えるものばかりでした。
特に、ある日「今日は特別に偉い政治家を紹介する」と言われた場で出会った政治家の振る舞いは、
言葉にできないほどひどいものでした。その様子は今でも鮮明に思い出されます。
そういった50代、60代の「偉い」とされていた大人たちと関わる中で、
私は自分の人生の道を変えようと決意し、現在の仕事をスタートさせるきっかけになりました。
自分が60代になった今、当時の彼らを思い返すと、
「仕方がなかったのかもしれない」と感じる部分が多々あります。
彼らは多くの抑圧や「思い込み」に縛られ、自分自身を見つめ直す機会もなく、
癒しを求める術も知らないままでした。
結果として、ストレスの処理は発散やごまかしといった形でしか行えない、
そういう時代だったのだと思います。
もちろん、当時もそういった環境に巻き込まれず、
真面目に愚直に生きていた人たちも多くいたことでしょう。
しかし、当時多くの人が憧れていたのは、
破天荒で自由、おおらかでかっこいいと感じた大人たちでした。
彼らの生き様には輝きがありましたが、
同時にその裏側には、自分を見失い、
癒されることなく生きざるを得なかった厳しい現実があったのだろうと思います。
あの頃の体験は、私に人生の選択を迫るものでした。
そして現在、過去の自分の経験と向き合うことで、
「どんな環境にあっても自分を見つめ、心を癒す力を持つこと」の重要性を強く感じています。
それは、今も昔も変わらない課題なのかもしれません。
意識的な遊び人こそが、真の遊び人だと思う。
気づきつくした遊び人以外の遊び人は、
本当の 遊び(真の生きる喜び)を知らないと思う。
だから、真の人生の遊び人になりたい!?(なりたくないかな!?)人は
※ゾルバザブッタ 一択となる と… 思うのでした!
※「ゾルバ・ザ・ブッダ」は、物質的な楽しみ(ゾルバ)と精神的な深遠さ(ブッダ)を統合した生き方を意味します。
「ゾルバ・ザ・ブッダ」は、日々の生活の中で喜びを見つけながらも、
精神的な深みを追求する、調和の取れた人生の象徴と言えます。 ~ChatGPTより~
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☆愛の意識から遠ざかった行動とは
自分の思考を無条件に信じた行動を指します。
自分を疑うことなく、代々引き継がれた思考パターンにのっとられ、
代々の自動反応によって行動してしまうことです。
☆愛の意識からの行動とは
自分に引き継がれてきた思考パターンに気づき、
それに精通したうえで、
自分が「当たり前」と思っている価値観を見直し、
誤った思考パターンに気づき尽くすことから生まれます。
育ったの家の影響から自由になり、
それに左右されない行動を選択できるようになれば…
愛の意識に気づくことは難しいかもしれません。
しかし、「愛ではない」思考や行動に気づくことは、比較的容易です。
そのため、日々の中で自分を客観的に見つめ、
自己認識を深める習慣を持つことが、
より良い人生を築く土台となります。
この世界は、愛の意識で生きることなしに、
本当の幸せを得ることは難しい世界と言えるでしょう。
しかし、愛の意識で生きるならば、
それ以上の幸せは存在しないと感じられるような
日々が永続的に続く… 不思議な世界なのです。
と…
思うのでした!