前回のブログで「骨転移の痛みが少ないことが不幸中の幸い」と書いたが、1/31に背中、特に左側の背中に激痛が走った。呼吸により肋骨が膨らんだ程度で痛みが走り、少し動かすだけで8くらいの痛みが走った。最初は寝違いだと思った。適当に動かし、時間が経てば痛みもなくなるだろう。
 ところが、痛みは増していく。2/2は、痛みが9を越えた。その夜はほぼ眠れなかった。
 2/3土曜に近所の整形外科に走った。レントゲンを撮った後、原因不明なので癌の骨転移による痛みだろうと断定され、データーのあるG研への紹介状を書いてもらった!(ナンデ ショウカイジョウ ガ イルノカヨ)
 2/5月曜、G研へ。あれあれ、整形外科医に診てもらいたいのに、何故か主治医の泌尿器科医のもとへ。ここでも骨転移の痛みと断定され、オピオイド系オキノーム他を処方される。整形外科の診察は、2/8木曜となった。

  その夜から次の朝に掛けて、別な酷い目にあった。
  寝る前に、オキノーム2.5mgを2錠、下剤の酸化マグネシウム250mgを2錠飲んだ。夜中の2時頃に猛烈な下痢。バリウム飲んだ時以来の強烈さだ。このときに、吐き気止めのノバミン5mgも1錠飲んだ。転ばぬ先の杖だ。
 翌朝7時、信じられないくらいの吐き気が来た!トイレにうずくまり、いつ吐瀉しても良いように準備する。けど出ない。出るのは唾だけだ。胃液が出るのじゃないかと心配したくらいだ。なんとか、胃液の吐瀉は免れた。
 10分くらいうずくまっただろうか。少し落ち着いたので、ノバミン5mgを飲む。吐瀉はしなくて済んだが、その日1日仕事なんかできるはずもなく、気持ち悪さと戦いながら、1日を無駄に過ごした。

 2/8木曜、G研の整形外科の診察だ。この頃の背中の痛みは6くらいに減っていた。
 午前中にCTを撮る。痛みの原因は特定できず。午後2時過ぎに造影剤MRIを撮る。4時半頃、整形外科医の説明を聞く。背中の痛みは骨転移の痛みではなく、おそらくヘルニアとのことだった。ヘルニアは自然治癒することもあり、その証拠の一つに2/2は七転八倒するほどの痛みだったが、この日は痛み6に減ったことだ。治療はなく、様子見となった。G研を出たのは5時半くらいだった。(マタ イチニチ ムダニシタ)
 その後数日して、背中の痛みは霧消した。

 この騒動で得た教訓は、医療系麻薬オピオイドの恐ろしさだ。あんな目には二度と遭いたくない。教科書的には、オキノーム2.5mg2錠など、ほんの少しの量のようだ。それにも関わらず、猛烈な吐き気を伴った。だんだん慣れるとも言うが、ホントかよ。
  この先、骨転移の痛みが本格化したら、どうすべぇか。
 痛みに弱い、吐き気に弱い、下痢にも弱い.........

  安楽死一択だろう。日本の藪医者ども、安楽死は世界の流れだ。早く認めろ!だいたい、仕事もできなくなり、生ける屍となったら、生きている意味などない。今では、ヘモグロビンが病気前の半分以下になり、1日の仕事時間は5,6時間くらいになった。もうちょっとで、やり残した仕事も終わるだろう。そうなれば、マジで安楽死ができる国を探すしかない。スイスは、外国人の安楽死受け入れには、ある意味緩いのだが、最低でも2週間、スイスに滞在しなければならない。それも難儀なことだ。

  現在、PSAは14台で落ち着いているところ、赤血球、ヘモグロビンを初め、血液の劣化が激しい。主治医が言うには、PSAを産生しない癌細胞が増殖し、そいつらが骨髄浸潤しているため、造血能力が衰えているとのことだ。
 次回は、血液の状況等を書くことにする。

追記

 G研の整形外科の先生には深謝申し上げる。飛び込みに近い診察だったのに、適切に検査し、当方に安心感を与えてくれた。

 その優しい話し方は忘れない。