青少年健全育成条例について感情的にならずに書く | Subterranian Homesick Blues

青少年健全育成条例について感情的にならずに書く

東京都において、青少年健全育成条例が都議会総務委員会にて可決された。

件の「非実在青少年」がどうのというやつだ。
架空の人物が犯す性犯罪や暴力を不当に賛美する表現を、「漫画・アニメのみ」規制するという条例である。

自分の立場をはっきりさせておくと、漫画に関してはそこそこ読むが、アニメは数を見るほうではない。
漫画には目から鱗が落ちるようなすばらしい表現をしているものや実験的な作品がある一方、売らんかなの目的で安易に「萌え」や「エロ」「グロ」に走っているものがあるのも知っている。
アニメに関しても同様、スタジオジブリの例を出すまでもなくジャパニメーション is NO.1 in the world だが前述の「萌えエログロ」の類はある。

また、ネットを眺めると今回の条例を推し進める旗頭となっている石原慎太郎には「老害!」などと感情的な意見が目立つが、ぼくはこのじいさんは好きなのである。
左右をきょろきょろと顔色窺って何も出来ない、もしくは出来もしないことを言う政治家が多い中で毅然とした「自分の意見」を持っている数少ない人だと思う。

それでも。

今回ばっかりはちとしくじったんじゃないかと思う。

公的機関がいちいち表現活動に口出ししてきて良いはずがないし戦前・戦後の文学の検閲を見て石原自身もそれはわかっているはずである。18歳未満禁止などの制限を強化したいなら話は別だが今回の条例文は改正案でもそれを遥かに越えている。
また、漫画・アニメに限った条例というアイデアもどこかトチ狂ったとしか思えない偏った判断だ。小説・映画・ドラマ・TV番組など青少年に影響を与えるであろうメディアは他にもあるだろうに何故漫画・アニメに限って規制をするのか。その論拠は全く示されていない。

だから「石原は老いたから嫌いな若者文化を潰しにかかった」などという感情論が噴出する。
規制する側に論拠がないから規制反対派も反対意見を論じられないのである。これでは同じ土俵に立って相撲が取れない。

願わくば石原慎太郎はいつまでも元気で矍鑠とした老人であってほしい。
しかし、いやだからこそ、この条例に賛成することは絶対に出来ない。

そして漫画やアニメを作る側には自浄作用が必要だ。今回の条例で引き合いに出された漫画などにはたしかに眉をひそめたくなるようなものや、自分に子供がいたら見せたくないようなものがあった。
それも文化の一つだ、とか100年どころか10年後には残っていない、というような向きもあるかもしれないが、重ねて、自浄作用は大事なのだという事を特に出版社には言いたい。
そして逆に言えば自浄作用以上のものを求めるのはナンセンスなのだと、条例推進派には言いたい。他人が作品をジャッジするのはおこがましいし公平な基準などないのだから。国境を一つまたげば、性別を越えれば、年齢を重ねれば、そこには数多の基準が存在するのだ。