私たちはずっと虚構の中にいる




これが「人生、社会、学校、常識」であると長いこと思い込まされてきてそこから外れないように見張り役として正義の人を作りあげた




少しでも社会の常識から外れると糾弾されるので
世間に嫌われないようにと生きているうちに
今度は自分が正義という虚構にとりこまれてしまう


そして悪人を成敗する役(ヒーロー)にまわり安心する




以前「虚構新聞」というものがSNSでアップされた

わかる人は一目で皮肉の効いたジョークだとわかりニヤリと笑うが
虚構をわからない人は真剣に怒り自慢の正義を
振りかざした


たとえばこんなの(笑)(笑)







新聞らしくもっともらしく

書いているのだが

最初に『虚構』ですよ!としてあるにも

かかわらず

日本語が消えてゆく!けしらん!と

怒る人

またジョークだとわかってもなお

こんなふざけたことをおもしろがるなんて

けしからん!と

怒る人


どちらにしても

怒りたい人は

なんでもネタにして

怒りたいのだ



こうやって二極化(多極化)していくのだろう


いまある

怒りや不満の常識が虚構だとしたら


もし皆がそれが前提で生きていけたなら
どれだけ気が楽になるだろうか



事実はひとつ
真実は人の数ほどある
(とあるアニメが私と同じことを言っていて
びっくりした)


ならば
人は自分の真実は自分で作り上げることが
できるのだ


なぜ他人が作った虚構を取り入れて
さらに虚構の人生を歩かなければならないのか


昨日までの人生は
いまもうここにはない


そこにしがみついていては
自分の真実など
今世ではとうてい見つけられないだろう


誰かを信じて裏切られて
悲しい思いをしていくのだろうが



誰かの虚構(政府、情報、民衆)に頼りながら生きていくのもまたよし
楽だもの



私の真実は
今この瞬間幸せである、と
思うことだけ


それが虚構でも
私が幸せならよし



覚醒覚醒としきりに騒ぐが
それもまた虚構かもしれないのに

目覚めなくたってよし

眠ったままで何が悪いのだろうか

幸せな夢をみよう










もしあなたが


なーんだ、そっか

目覚めなんて起きなくてもよかったんだ!



と思ったら

それこそが虚構です




だいじょうぶ

だいじょうぶ



ぴこ

らぶ❤️