小異を捨てて大同につく | 同じ月をみてる

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44歳おやじの日記

小異を捨て大同につく、うーん慎太郎の言うことも、わかる気がする今日この頃です。

少しぐらいと意見の違いがあっても、
大勢の支持する意見に従う

数の論理、勝たなければならない
戦いだからね。政策や考え方だって、全部が一緒なんて、ありえません。維新の会、太陽の党が一つになることは、現実的な選択だと思います。

小異を捨て大同につくは、きれいごとではない、生きる現実のサバイバルには、私達の生活でも、よくあることだと思います。

多数決なのでしょうかね?考え方が異なる場合は、それで解決する他はありませんよね。

ここで、なにが、小異なのかは、難しいものですが...

会社では、決定権は、社長、会社にあることが、多いですが、部署ごとに決められるものもあります。考え方違うから、はい離党!なんて会社をすぐにやめることは、難しいものです。

新党立ち上げるのは、いいけど、離党して、選挙のために、風がふく所に鞍替えしようという輩は、残念です。


さて、最近は考え思い悩むことが多いです。四、五年また同じように、のらりくらりと、時が過ぎて行きそうです。もう一段階踏み込んで見たところ、自由でいたいようなことを言われました。結婚していた時、出掛けると、いい顔されなかったようで、自由でいたいとのことでした。

いつも自由な自分には、わからないことですが、おれもそのタイプらしいとの見解でした(笑)

それはないと思うのですが、それすると、おれも自由に飲みに行けなくなるからね。

そして、彼女には、今が一番心地よい環境なのだと、わかりました。

なんだか、前と似てきて、疲れる話だよね。

お互いに自由でいることは、もしも付き合い結婚したとして、難しいのかな…

毎日が見えない恐怖との戦いです。

営業数字、社会的な立場、年齢老化、自由、将来、お金など、考えても仕方ないのものばかりに、埋め尽くされている。

自分はまだ、過去に生きてるのかもしれませんね。過去に縛られる。

何度会っても、答えがでない

もう話すことがないのかも知れません。いつもメールで伝えているので、
会っても、話すことがあまりない。

いつもずっと顔を眺めている

今日はどうなんだろうね







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