なぜミクシィ日記は毎日書きたくなり、しかも楽しいのか? | 高橋暁子のソーシャルメディア教室

なぜミクシィ日記は毎日書きたくなり、しかも楽しいのか?

今日は、なぜミクシィ日記のような発信にならないものを毎日書いて、しかも楽しいのか?について話します。

ミクシィ日記を書く理由はいくつかあります。
1:交流のため
2:新しく知り合った人たちに自分をより知ってもらうため
3:考えや日常を記録しておきたいため
(日記で時々「場所確保」しているのはこれですね。その日の場所に自分の思い出を写真のように記録したいのだと思います)

主にこのようなためだと思いますが、いかがですか?
ちなみに、数字に意味はないです。1から3にいくわけではありません。

わたしは、1の交流のために、イベントに行ったらとりあえず日記を上げました。
その日行った同士で感想をやりとりできたからです。

2には特に力を入れたと思います。
あまり意識していませんでしたが、セルフ・プロデュース、セルフ・ブランディングのためだったのですね。
その意識が高い人とあまりない人はいますが、意識するとしないとに関わらず、結果的にはその役目を果たします。

たとえばわたしはイベントで最初に会った人には「面白いだけではなくて真面目に物事を考えている」とか「文章がうまくて感受性が強い」ことを伝えようとしました。
逆に、わたしをすごいライターだと勘違い(笑)している人には、「面白くて気さく」なところをアピールしていました。

今思えば、それは非常に効果的に効いたように思います。
だから、毎日書くのに力を入れたし、とても楽しいと思いました。
けれど、理解しようとする人にはもう十分理解してもらえたので、ミクシィ日記に力を入れる気はなくなったのです。

今の段階でもまだがんばって日記を書いている人には数種類いるようです。
3の考えをまとめて日々を記録したいという人。
それから、2の段階にいる人もいます。
時々、それを外向きに飾ったクリスマス時期の窓のイルミネーションに似ていると思うことがあります。
誰かに向けて一生懸命に光らせているように見えて、仕方がないのです。


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こんにちは、高橋暁子です。
わたしはごく普通の人間なので、ただうるさいだけと思われると傷ついてしまいます。
逆に、元教師とかライターだからといって、ただ真面目とだけとらえられるのも不服なのです。

mixiでみんなに理解されようとするのが間違いなのだろうなというのは分かっています。
でも、理解されたい欲求ははっきりとあります。
つながっていたい感覚と、理解されたい欲求が、ミクシィ日記の隆盛の理由かもしれない、と思っているのです。