終戦の詔勅を聞いて駆けつけた親友の家は既に留守。 頭の中は 呆然として、 街角に突っ立って眺めた空の 澄み切った深い青さ、 紺碧の色。あの光景は一生忘れない 思い出の一つです。
対照的に街の中をゆく現地人は普段通りでした。 それ以後私はどうしたか 全く記憶がありません。
当時住んでいたチチハルは、ソ連参戦の8月9日以後戒厳令が敷かれ一般人は外出禁止。しかし現地人は相変わらず出歩いていました。 私は中学生ながら日本刀を背負って学校警備に出かけました。ソ連軍が攻めてきたら死を覚悟で一戦を交えると悲壮な誇りを持って、車道の中央を闊歩していた軍国少年でした。
8月15日朝のラジオで、正午に重大発表があるから聞くようにとのことで、 朝から自宅で待機しておりました。
正午、昭和天皇の敗戦の詔勅のラジオ放送は、ガーガーと雑音多くよく聞き取れないので、 近所の人に 聞いたら、日本は負けたんだよと言われてびっくり仰天 。早速駆けつけた 親友は既にどこかへ避難していたのです。
彼に前々から、 現地人たちは日本は負けるぞ、早く日本に帰れと言っていたと聞いてそんなバカなと思っておりました。 現地では 5月頃から 日本はもう戦争に負ける、アメリカ軍が来たら背広を着なくてはならないから闇値が上がっている、早く日本へ帰れと言われた とも話しておりました。 最後まで日本をの勝利を信じて、 敗戦など考えもしなかったのはどうも日本人だけだったようです。