8月上旬、イベント「北山友禅菊祭」が終わるのを待って、京都市最北(?)の山里「久多」の北山友禅菊と安曇川水系のシコブチ3社を巡りました。

 

R367鯖街道・梅ノ木から(滋賀)県道781・府道110を西進し、久多の集落へ・・・。

途中、川沿いにカーブが続く見通しの効かない狭隘な道で、十分に減速せず車体を倒して集団走行する二輪に冷や汗をかぎながらも無事に集落西端近くの菊畑に到着。

左端にポツンと1台クルマの屋根

 

龍宝寺の駐車場(5台駐車可。有料)を利用。 この日は、他に利用車両なし。

寺の周りを囲むように北山友禅菊が咲いていました。

山裾を流れる涼風と淡紫に咲く花々が、暫し夏の酷暑を忘れさせてくれました。

北山友禅菊は、元々、久多地域に自生していた野生菊(チョウセンヨメナ)。 

休耕田など70アールほどを活用し、観賞用に栽培しているのだそうです。

 

あまりの心地良さに・・・暫し大谷川沿いを散歩。

京都で一番小さい(?)という「ちゃちゃんこ(松上げ、京都市無形民俗文化財)」の松場がありました。

「宮の町 万灯籠場跡」の標柱。

1時間ほど山里の景色を楽しんだ後

集落の中心部近くの三叉路に鎮座する志古淵神社(「久多のシコブチさん」)を参詣。

久多川と大谷川の合流地点近く。 久多川は、神社の上流側、下流側で大きく屈曲しています。

境内の案内によると

久多の産土神。 創建や由緒ははっきりしないものの、棟札から天福年間(1233~34)には既に社伝を構えていた。現在の本殿は、寛文12(1672)年造営とのこと。

 

杉皮葺、流造の美しい本殿。

毎年、8月24日には境内で花笠踊(京都市無形民俗文化財)が行われるそうです。

 

神社の背後、山頂付近に2郭1城形式の「久多城」跡が残っているそうですが、石垣・土塁・堀切などはないとのことなので、登城せず。 真夏の攻城は厳禁です。

 

府道110を久多川に沿って東進し、鯖街道「川合の別れ」から針畑川を上流に向けて北進して思子淵神社(「小川のシコブチさん」)に到着。

神社の創立は不詳ながら、残っている記録などから中世には存在していたそうだ。

 

段上の覆い屋内の中央に本殿・思子淵神社、向かって左側に蔵王権現社、右側に熊野社。

蔵王権現社に納められた板札から応安4(1371)年の建立であること、本殿も同様の建築様式であることから同時期に建てられたと考えられている。一間社流見世棚造、梁間一間、正面に縁、こけら葺きで箱棟。 覆い屋に守られて、建築当初の部材が大変良く残されている、とのこと。

神社の裏山から流れる湧水が二股に分かれて覆い屋の左右を流れていました。 涼やか~。

 

更に針畑川に沿って北上し3ヶ目の思子淵神社(「平良(へら)のシコブチさん」)。

こちらは、覆い屋ですっかり覆われて外から社殿を窺うことは出来ませんでした。

ちょっと気になった社殿裏の巨石。

この針畑川沿いの道を更に北上すると、雲海で知られた小入谷に至ります。

が、予定していた北山友禅菊、シコブチ3社のすべてを訪れることが出来ましたので、今回はここまでにして帰宅しました。

上流の降雨の有無を確認後、河原へ・・・。

 

なお、帰路の途中に、シコブチ神社があったというシコブチ平。 大橋建設時に撤去された(?)とも聞いていましたが、針畑大橋・金山淵付近を橋上などから探したものの視認するに至りませんでした。 この付近、紅葉の季節に期待できそうな景色でした。

 

 

 

 

※   シコブチ神

山の木材を下流(琵琶湖)に運ぶ筏流しの守り神。

シコブチ神の表記については思子淵、思子渕、志子渕、思古渕など様々な漢字があてられています。 一説では「シコ」とは「恐ろしい、強い」、「ブチ」は川の屈曲部や淵のこと。つまり、川の流れが安定しない、危ない場所を意味しているそうです。

なので、そうした場所の河畔にシコブチ神を祀って航行の安全を祈願したそうです。

カッパとシコブチさんについての民話がありますが、またの機会に~・・・。