仰木の棚田を散策した後、少し時間があったので北進して伊香立南庄の村はずれにある神社に行きました。

『仰木の棚田』で紹介しました写真「北の方向・・・比良山」に写っている県道を進みます。

 

途中、脇道に入り、春の桜や秋の紅葉が素敵な「瀧寺(天台宗 荘山歓喜院。滝の行場)」との分岐から北進すると農道の脇に小さな祠があります(伊香立村「南庄の里」竜ガ谷)。

伏竜祠・・・棚田の中に、小さな鳥居&祠。

左奥に融神社の杜、

中央奥に南庄古墳群のある丘陵、

遠景は比良山。

 

今から200年ほど前の江戸時代末期(1804年)、開墾中に「竜骨(象の化石)」が出土した場所です。

発見されたときは、それが象の化石であるとは分からず、明治時代になってドイツから招聘したナウマンの研究により「象の化石」であることが明らかになったそうです。

 

※ 滋賀県内からゾウ(長鼻類)化石が30ヶ以上出土しており、

その約半数は堅田累層(堅田・雄琴周辺)から出土した。

 

 

「竜骨」は、領主の膳所藩・本田家から明治になって皇室に献上され、その後、帝国博物館⇒教育博物館(後の国立科学博物館)に移管されたそうです[標本番号 PV02211]。

 

なお、発見者の農民・市郎兵衛さんは褒美として米10俵と苗字(「竜」)を貰い、さらに発掘地に「伏竜祠」の安置を命じられるとともに開墾した祠以外の土地を勝手に永作しても良い(租税は免除)との命が下りたとのことです。

 

さらに後、市郎兵衛さんは、代官に取り立てられ給米五石を賜わり、帯刀を許され、今の雄琴(苗鹿)、千野、南庄、龍華など六ヶ村の支配を命じられたそうです。半士半農的な存在になったのですね。

 

 

閑話休題。

「伏竜祠」の北方向に赤色の欄干が観えます。 

「融神社」です。

 

 

 

御祭神は、「河原の左大臣」こと源融です。

源氏物語の光源氏のモデルとも謂われている人です。

 

 

配祀神は、

大原全子(融の母)と大山咋神(山の神)

 

南庄は融公の荘園でした。

社地は融公が閑居したところと伝わる旧跡です。

 

融公の父は、49名の皇子皇女がいたと言われている嵯峨天皇。

なので、融公は桓武天皇の孫ですね。

(因みに、子だくさんだった11代将軍・徳川家斉は53人)