人生は楽しむに値する | 北緯1度のシンガポールでおいしいごはん

人生は楽しむに値する

不意に心を占めた思いは、人生は楽しむに値する、とゆうこと。


だいぶ疲れているのか、好調なのかわからないけれど。




もちろんまあいろいろあるやん、でも、


やってもやっても飽きないものがあることは


素晴らしく、楽しく、感謝に値するなあ、となんかしみじみと思ったのであった。




好きなことは続く。続けられる。


でも掘り下げていくとそこに必ず壁や課題が現れてくるのだけれど


苦しみを伴っても、それが好きなことである限り


続けられるし、それを追求して生きていきたいなあ。


それが直接仕事につながることであっても、直接お金にはならないことであったとしてもどちらでもよい。




別に特別なことが今日あったわけではないのだけれど、ふと。




たぶんきっかけとしたら、こないだルームメイトのイタリア人と


たわいもない話をしていて、ニモとゆう映画を、彼の娘が今よりもっと小さい頃に一緒にみていて、


娘ちゃんがその映画がとっても大好きだったから、


見終わったらまたすぐもっかいみて、また見終わったらまたもっかいみて、と繰り返して


100回くらいは見た、といっていて。


ああ、でもそうゆうことだよなあ、人間って自分の好きなものとかツボってゆうかそうゆうものが


備わっていて、それってほんとに存在して、何度そのツボは押されても


うれしい、とゆうものなんだよなあ、と思ったの。




私はことばが好きで、あとは今は持久系運動とお洋服が好きで


それらに関することは続けても続けても飽きない。


あ、外国とか行ったことないところも好きだけれど笑


好きなことを続けることで得られる楽しみの量をだれかと比べたり、


誇るつもりはないしその必要もないけれど


そうゆう好きなことに、一日のうちの少しでも触れながら生きていけることが


とっても恵まれていることであると思ったのだった。




村上春樹のエッセイだったか短編小説だったかによると、


私は既に人生の折り返し地点を曲がってしまっているわけなので


気づくのがちょっと遅すぎる感じは否めないが(苦笑)


感謝しながら前向きに生きようと思うのでありました。


最近毎日のように、家の近くのチベット寺に手を合わせてから出勤しています。


南無。









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だーいぶ前だけど、キナバル山に登る際に泊まった、二千メートルくらいのとこにある山小屋。雰囲気が大好きでした。