最近海南黄花梨の出品があるから、見るお客様のご趣味に答えて、
黄花梨伐採史と時代ものの違いを紹介します。
表題が大きいかもしれないが、要点のみ簡略に書きます。
黄花梨伐採史と時代ものの違いを紹介します。
表題が大きいかもしれないが、要点のみ簡略に書きます。
海南島(古代名は瓊州)は中国大陸の最南部の広東省の雷州半島(地図上緑の丸)の”隔海相望”の離島です。
中国大陸島の中に最大の島であって、大陸との間の”瓊州海峡”は一番狭いところは15KMしかないので、
世界ではもっとも激しい激流海峡であります。
世界ではもっとも激しい激流海峡であります。
(注:瓊は赤玉也。古代海南島に赤い玉が発見されたから、名前になった。また珍珠の産地でもあるから”珠崖”との別称もあります。)

島の南岸に温かい南太平洋を直面しているから、良港がある。
有史以来、広東漁民船の避風港である。
有史以来、広東漁民船の避風港である。
漢の時代から、”南蛮人”とされる中国南方の少数民族の”黎(リー)族”の一部が海を渡り、海南島へ住み着いた。
安南と近いため、歴史上安南独立した時期に中央行政が行き届かない蛮荒地区です。
安南と近いため、歴史上安南独立した時期に中央行政が行き届かない蛮荒地区です。
明初の永楽四年に、安南省を収復に連れて、明軍の中に南方苗(みょう)族の兵士6万人を海南島へ開墾駐守を命じたため、
それは、海南島の文明の開始時期です。
それは、海南島の文明の開始時期です。
”黄花梨”は海南島に自生する”花梨木”です。黄花梨の名前は現代になってから、東南アジア産の花梨木と区別するために作られた名前です。
黄花梨は海南島産の”花梨木”で、現代の材木分類には”香枝木”に所属する。(花梨木とは別種別属)
そして、中国では花梨木の言葉は一種の木を指すことばではなく、いろんな色の檀木を区別するために、色薄で、赤黄色の檀木を指す言葉です。
その中に、日本語の”カリモク”も含まれています。現代材木分類には”檀木”や”類檀木”に所属する。比重は黄花梨よりかなり高い。
その中に、日本語の”カリモク”も含まれています。現代材木分類には”檀木”や”類檀木”に所属する。比重は黄花梨よりかなり高い。
永楽年に、開墾は海南島の東部の平野地帯から始まった。現在東部はすでに都会部になってます。
東部は日照がよいほか、東風が温かい空気を連れてくるので、黄花木の成長が早く、密度はやや南方山間部の木より小さい。木の年輪の幅も南部ものより少々広い。そのため、直径80㎝にも上る巨木が成長しますが、兵士たちが伐採により、鄭和の宝船が帰還の際に寄港して寧波と南京へ運ばれた。
東部は日照がよいほか、東風が温かい空気を連れてくるので、黄花木の成長が早く、密度はやや南方山間部の木より小さい。木の年輪の幅も南部ものより少々広い。そのため、直径80㎝にも上る巨木が成長しますが、兵士たちが伐採により、鄭和の宝船が帰還の際に寄港して寧波と南京へ運ばれた。
だから、明代の黄花梨家具はほとんど江南地区の手工業発達な蘇州あたりで作らられた。
島の東部で伐採される黄花梨材木の色は糠黄色(市場では糠梨と呼ぶ)で、木目色に黒線がすくないほか、木目模様も大きいから、”行雲流水”的な美しい。
(糠梨 小株 明ほど古くない)

しかも、紫檀類より軽いなのに、加工しやすい、性質は極安定して変形やヒビがしない。家具は塗装しないままワックスするたけで優しい光沢がある。
素で隠し豪華という点で、文人貴族の間で珍重されるようになった。
素で隠し豪華という点で、文人貴族の間で珍重されるようになった。
(明代 黄花梨家具)

明の時代はまた黄花梨木を”花梨木”と呼んでいた。
明末清初それ以降に、広西や安南産出の花梨木と区別するために、”海南香檀”との呼び名が出た。
明末清初それ以降に、広西や安南産出の花梨木と区別するために、”海南香檀”との呼び名が出た。
海南花梨木の中国語学名は降香黄檀と言います。漢方薬の中では”降香”とも呼ばれる。特殊な香木ですが、新しい伐採された降香を焚くと匂いは辛すぎで不快とされます。原土の中で経年で辺材が腐食され、油が含む芯だけが残る。
こゆう陳年の芯材を焚くと大変雑味がまったくのないぼにゃりとする上品な香りがします。海南島しか発掘されないから、最も貴重な香木になります。
こゆう陳年の芯材を焚くと大変雑味がまったくのないぼにゃりとする上品な香りがします。海南島しか発掘されないから、最も貴重な香木になります。
また、現代市場に売っている”降香”の屑や粉は、実は代用品のタイの香檀木なので、正直匂いはぜんぜん違うと思いますが、名前だけを商っていると思います。
明早中期に黄花梨家具が故宮にも採用されたから、貴族専用品になりました。
だから、”糠梨”材質の古家具の発見は北京には多いです。
明中期後は、海禁があったから、あまり流行りものにはなれなかったが、
もう一つの原因は島東部の平野にはほぼ伐採つくされたと思う。
明中期後は、海禁があったから、あまり流行りものにはなれなかったが、
もう一つの原因は島東部の平野にはほぼ伐採つくされたと思う。
清の乾隆年に”開拓奨励”政策があって、台湾や海南島への福建移民が大幅増えました。そのため、農地の開拓で平野部の黄花梨木はほとんど伐採つくされた。
現地の古民家や古民具が黄花梨材木で作られたものが多く、小さいな枝材は柴として使われた。
現地の古民家や古民具が黄花梨材木で作られたものが多く、小さいな枝材は柴として使われた。
(清代 黄花梨家具 代用品と区別し難い)

清の時代作りの黄花梨家具は中国南方には多くです。現存している清の時代の黄花梨家具の材木の色は時代が進むとともに色深になっていく。清中期以降は南部山間部の黄花梨木の伐採が進み、こゆう密度高い芯材の色は飴色の黄花梨木は”飴梨”との呼び名があります。
(飴梨 直径はあまりない)

しかし、山間部の木は成長が遅いので、一番大きな株も直径30㎝を超えるものがないと言われます。
そして、南部の山に生長する黄花梨の木が最大に伐採されたのは近代です。
海南島の唯一の輸出できる物産として、東南アジアやヨーロッパへ材木の輸出が伐採を加速した。中華人民共和国が建国直後も黄花梨の材木の輸出が続けた。
海南島の唯一の輸出できる物産として、東南アジアやヨーロッパへ材木の輸出が伐採を加速した。中華人民共和国が建国直後も黄花梨の材木の輸出が続けた。
大躍進の時期に錬鉄の燃料として、油性木の黄花梨も大量に伐採された。
古民具の損失はこの時期で一番多い。ほとんど燃料にされた。
だから、現在は”糠梨”巨材は絶滅珍品です。
5~6年前に、中国の材木市場に、一枚幅30㎝、長さ3m、厚さ5cmの糠梨の巨木板材が4万元(67万円/KG)で取引されたとの記録があります。多分ヨーロッパからの逆輸入ものだと思う。
目の下の材木市場に出る黄花梨材木は大体”飴梨”です。幅の10~20㎝のものばかりです。相場が2万元(33.3万円)/KG
結局現在一番取引されているので、島に取り残られている小枝材や株の根材です.
こゆう材木が家具にはできないので、装飾品工芸品身回り品に加工されると密集した模様が人気だそうです。
(黄花梨 株の根材工芸品、新黄花梨)

報道によりますと、今に島で栽培されている黄花梨樹の現状は最大ものが茶碗ほどの直径しかないので、材木になれるまでは2~300年が掛かります。それでもいつか盗伐される不安があります。
私は最近のヤフオク落札記録に、食指より小さい黄花梨一本の小枝が78000円で落札されている。写真で枝の断面を見ますと新物ですから、多分始皇帝の兵馬俑の指と同じ、暇人が現場に潜って盗み取ったものかと思います。
こゆう新物の屑が使い道が、ボールペンのような手芸品かそのまま世界の遺産として展示するとしかない。降香としても使えない。
おい、投資の対象は間違ったぞ!
内の幅30㎝厚さ3.5㎝の糠梨一枚板は見ないふりのなら、
”収集家”という名の”葉公好龍”ものだ。
龍の絵が好きで、ほんとうに龍が現れると怖くで逃げるのだな・・・
”収集家”という名の”葉公好龍”ものだ。
龍の絵が好きで、ほんとうに龍が現れると怖くで逃げるのだな・・・