大内氏時代に整備され、当時山口の主要港であった秋穂の浦から西の京やまぐちを結ぶ古道は一般的に「秋穂街道」とよばれていました。
ですが、その玄関口秋穂地区では現在も「お上使道」の呼び名が一般的です。
「お上使道」=将軍や京からの使いが通った道、という意味です。
大内氏は24代弘世の時代から京とつながりを深くしました。細川氏の反乱で都を追われた将軍足利義稙が、30代当主義興の庇護のもと山口で隠遁生活を送った時代もありました。
京の都や九州、明からの使者がこの道を通って山口の大内舘へ向かったそうです。
この「お上使道一里塚跡」の記念碑は、出発点にあたる山口市秋穂の屋戸集落にあります。「磯の香公園」から住宅街に入ったところで、付近に秋穂88カ所の霊場屋戸大師堂、八坂神社(祇園社)御旅所、「重ね岩」があり、たのSEA秋穂地域づくり協議会設置の説明板が設置されています。
写真中央に見える大石は「重ね岩」とよばれ、秋穂の浦に到着した旅人は船をこの石につなぎ、ここで宿をとるなりして山口への旅支度を調えたそうです。「屋戸(やど)」の地名はここが宿場町であったことからきたようです。
ところで、この重ね岩がある場所は現在海岸線から少し離れており、ここに船を繋ぐというのは違和感がありますが・・・大内氏時代の海岸線は、海水面が現在よりもかなり高く、内陸側に入り込んでいたようです。


