先日、NHK『にっぽんの芸能』で
【超歌舞伎 花街詞合鏡】を観ました。
こんなすごいものが
世の中にあったなんて・・・

それから今日まで暇さえあれば
録画を繰り返し観ているのですが
何度観ても泣ける・・・泣ける・・・
茹でたブロッコリーに
マヨネーズをつけて食べながらでも
私は泣いています。←何の話
なんだろう・・・あの・・・
この作品に限らずいつもそうなのですけど
「この人は今どんな気持ちなのかな」
と考えながら世界に入ってしまう癖があって。
初音太夫が炎の中で子狐丸を抜くシーンで
この人、どんな決意で刀を抜いたんだろう
と想像したらもう・・・もう
炎に焼かれて死ぬことを選ばず
混乱に乗じて逃げることもせず
細い腕で懸想相手の妖刀を抜き放ち・・・
その後、紋三が(というかコンコンが)
真っ赤な着物で飛び出てくるシーンは
コンコン
コンコン来た
お耳ーーー


可愛い・・・


萌えながら泣く36歳。←惨事
サイリウムが揺れる歌舞伎。
獅童さんが客席を煽る歌舞伎。
素敵。
DVDが出たら欲しい。
“愛したのは、向こう側の人でした”
向こう側って、きっといくつか意味があるでしょうね。
廓の中の初音太夫から見れば、
紋三のいる世界は“向こう側”だし
紋三にとっても廓は“向こう側”だろうし
ミクちゃんと獅童さんもお互いが“向こう側の人”
ですものね。
だから『合鏡』なのか。
どちらがどちらを映しているのだろう。
劇中で使われている曲『吉原ラメント』
これを聴くと、吉原で生きた女性達のことを考えてしまいます。
先月、京都の島原へ行った時
やたらと「島原と吉原は違います
」と
強調されていたのがちょっと・・・
私は気になったのです。
いや、確かに違うのでしょうけど、
その裏に少~し、
吉原を見下してはいないかい?
と思うような何かが透けて見えた。私には。
私には、ですけど。
例えば職人さんは自分の技術を売りますね。
歌や舞など芸を売る人もいますね。
体を売る人もいました。
それだけのことではないですか。
何がいけないのでしょう。
恥ずべきことは何もないと、私は思います。
自分にできることを一生懸命にやって生きた人は
みんな美しく尊いのであります。
まぁ、京都は京都至上主義なところありますからね
京都以外のものはとりあえず等しく一旦ディスるのかもしれませんけど
