人生に於いて、何が+で何がーかは一概に何とも言えません。中学2年生あたりからその先は、社会人として進む重要な時期とも言えます。その頃に、学習以外の事で力を注げば本業が疎かに成ってしまうでしょう。当時は、太陽族なる言葉があり、何をやってもライバルなしの出世し放題の世代が居ました。石原慎太郎世代です。


昭和22年4月1日以前と以後では天地で、前の世代なら受験に英語もなくライバルも有名校進学も楽勝。しかし、後の団塊だと大学進学率が高く収容しきれません。死の受験地獄世代です。浪人や学生運動抑止のための圧力で詰め込み教育と相対評価に寄るフルーツバスケット状態の過酷な仲間同士のハンガーゲームです。


恋愛についても受験でのーが指摘され、世間的にも青春ドラマと言う訳には行きません。愛と死を見つめてなんて絵空事で飛んでもない事でした。男女が話をしたり、一緒に居る姿を見られるだけで大騒ぎに成り、さらし者です。それでも思春期の男女の摂理は避けて通れる筈が有りません。必ず惚れた晴れたは最高の話題に成り盛り上がります。


特に学生時代は、特定の男女に集中し、嫌でも美男美女だけがスポットを浴びてしまう傾向が強いです。人生の負けを経験して居ない年頃ですから何でも自分の思惑通りに事が運ぶと思い、それが叶わないと嫉妬や憎悪を生むことも有り得ます。特に女子は、見極めが厳しく殆どが一人の男子に集中し妥協しません。狭く深い愛の形が女なのでしょう。


そんなこんなで、中学時代の噂は可愛いものでそれが高校に成りますと一層生々しい話に発展して来ます。俗に、どこまで行ったかと言うことに成ってしまいます。ここまで話すと皆さんの期待に応えたいですが、単純に大人の付き合いの様に簡単に進展しません。手を繋ぐことすら大変な出来事です。

プラトニックラブで終わったと申し上げて置きましょう。ある意味非常に後悔して居ます。たとえ間違いを仕出かし人生を滅茶苦茶にしたとしてもそれはその方が良かったと確信して居ます。今は、幻のDスポットも分かり、ある時、女性が素敵な男性を見ただけで子宮がキューッと締まる感覚を持つとまで知り、分かってしまいました。機会を見付けもう一度彼女に会って見たいです。