横浜の最南端に位置します金沢区。横須賀との市境に在ります。一時期東京に居たことがありますが、小学1年から高校3年までの期間をこちらで育ちました。今行きますと浦島太郎状態です。駅舎は立派になりました。50年間で良くなったのはこう言った公共性の高い建物やお役所。大会社関連のビルばかりです。個人は全く潤っていない感じです。
鎌倉時代の史跡、金沢文庫がありますから金沢文庫駅と言うのです。横浜は、国宝が2つしかなく重文も含めて歴史的な史跡や資産は金沢区に集中しています。開港の150年程度に比べ850年以上昔の鎌倉時代の文化とはけた違いです。文庫駅の改札は、最初この階段の下の左側にあり、懐かしい思い出があります。
そう言えば、その改札口は初デートの待ち合わせ場所でした。キャンパスの華を射止め学生時代の最高の思い出かも知れません。当時は栄養状態が悪く、器量良しの女子は宝石の様に貴重で少なかったです。ですからその一粒を求め学年どころか学校全員の男子の羨望の的になります。掃き溜めの弦とか鶏群の一鶴と言えます。
今考えれば普通なのかもしれませんが、誰一人知らぬ者が居ないほど有名に成ってしまいます。駅前の京急ビルで後に就職した学習塾が入って居ました。4階ワンフロア全部を借りて家賃が月に300万円ほどでした。優良企業の大林組が施工した割に居住性の良くない建物です。今は人工透析のクリニックになっています。C~G教室がありました。1クラスで30名以上の教室が5つとA,Bそれ以外にH,IとJ、Kの11教室で塾生数は優に1,100人を超えていました。
神奈川最王手だったのですが、PCソフトの開発と帰国子女用の寮経営に失敗し今は無くなってしまいました。ネットや2チャンネルに生徒の懐かしむ掲載があり寂しく感じます。教え子の延べ数は1万3千人居ます。TVKのア・テストや高校入試速報は全て1社で行いました。ゴダイゴに作曲してもらったフェニキアの小舟。その塾の歌です。
労働問題で大変だったのですが、教育産業は全ての職種で最も厳しいと言われ5年以上の在職率は4割台がやっとです。自分は23年間身を置きましたが奇跡に近い継続率です。商社の証券マンより数倍厳しい職業だとお考えください。入れれば神様ですがもしも落とせば詐欺師になります。常に薄氷を踏む思いの心境で仕事をしなければ居場所が無くなります。ブラック企業そのものです。