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とうとう「梅ちゃん先生」も今週で終りです。菖蒲園跡「蒲田小学校」先の順路は「東邦医大通り」です。実は、東邦医科大学は昭和20年~36年に存在しました。現在は、東邦大学医学部ですが名前だけはこのような形で残っています。大森キャンパスに有りますのが、医学部・看護学部です。千葉の習志野キャンパスは、薬学部・理学部です。
 
イメージ 2いきなり本命と言う手も有りますが、此処は少し寄り道をします。蒲田で最も古く有名な稗田神社(ひえだじんじゃ)です。開祖は行基で709年、蒲田神社とも呼ばれています。と言うことは、その時代に此処は既に陸だったと分ります。この石鳥居は区内最古で文化財と成っています。
 
イメージ 3古い神社である事は、この樹の根を見れば明らかです。行基の痕跡は、南房総から海岸沿いに北上してその後東京のこの辺に来ています。更に南下して横浜まで把握出来ます。行基図と言う地図作成のためでしょう。仏教の伝道師のように教わりますが、実際はゼネコンの大将と言えます。神社仏閣を大プロジェクトから作成、周辺開発により雇用を捻出し活性化。
 
イメージ 4気候風土を生かし、地理や人柄までも見抜いた才覚は大変なものです。この石灯籠の柱をご覧下さい。これ自体は新しい物ですね。当然、元に成るものが何度も作り直されていると思われます。柱が膨らみエンタシスに成って居るでしょう。柱の付け根が簡素な造りのドーリア式、古代ギリシャ文化の影響を受けています。
東京駅が復元されました。もしも石柱があるのならこの上の形状に注目して下さい。エンタシスに成っていないかも知れませんね?
 
イメージ 5エジプトや中東の古代文明が合併してオリエント文明から更にインドと合併。その後、中国から百済に伝えられ日本にまで伝来したと言われています。しかし、そのままコピーしているだけでは有りません。日本独自の淘汰と変化が在ります。この神社を訪れとても良かった。それだけのことを感じる事が出来る由緒ある場所で、一度は来るべきでしょう。