水泳指導(日本泳法)
趣味(ライフワーク)の中で水泳指導の割合がとても大きい。スポーツ少年団の指導員となり、認定水泳指導員資格取得し、水泳協会に入会、会は日本泳法、主馬神伝流保存会が運営、日水連「練士」資格を受け、会が行う水泳教室で主に、競泳を指導している。
大洲には、スポーツ団体「大洲水泳協会」と文化団体「主馬神伝流保存会」がある。
過去には、「神伝流水泳協会」と称し、一つの団体として活動していたが、必要に迫られ、名称のみを分けて活動、現在は、規約、理事役員は分けているものの予算は分けていない。ちなみに僕は、水泳協会副会長、保存会理事を受けている。
遠泳(夏季水泳教室最終日肱川)
R7.9.12(金) 水泳協会「主馬神伝流水泳教室」6月~12月毎金曜日 午後7:30~8:30
体調は、ほぼ復活、少し泳いで体力を取り戻したいと思い、今回説明する「行の游方」を泳いでみた。体調が良くなっているのか、体が上下することなくゆったりと泳ぐことが出来た。
前回9/5で、大洲市指定無形文化財指定申請資料から主馬神伝流の游形名称を記載した。
平成25年3月23日に日本水泳連盟主催第61回日本泳法研究会が開催され、「神伝流」~発祥と伝承の謎を解く~と題して、日本水泳連盟日本泳法委員会、日野明徳委員により資料を冊子(以下資料)として作成(大洲水泳協会他による編集委員会を編成。)、研究発表、主馬神伝流の認定根拠が示され、同平成25年度に、日本水泳連盟から日本泳法の認定を受けた。
泳形は、認定以前から変更((横体:横泳ぎから平たい:うつ伏せで正面を見て泳ぐ)されたが、名称の変更はしておらず、現時点では、記載した名称が正式となっている。加えて、日本水泳連盟に泳法審査用に提出した文書による泳法泳形は、真の游形、行の游形、草の游形、ニ段伸、三段伸、斐伸、諸手伸、拵り伸、片手抜で、それ以外は、文章化できておらず、游形名称を合わせて近く大洲水泳協会・主馬神伝流保存会で検討することとしているため、決定するまでは、ここに記した9泳法を説明していく予定です。
※主馬神伝流の歴史
今回は、主馬神伝流の歴史について説明します。(2024.11.24のブログ小中学校巡回指導配布テキストから転記)
主馬神伝流は、加藤主馬光尚が、戦国時代に水軍の兵法として泳ぎ方を考案、江戸時代初期(1617年)、藩替えで大洲藩初代藩主加藤貞泰の重臣として来たとき、川面に浸かっている柳が往復運動をしているのを見て創始し、泳ぎの型等を「主馬流」としてまとめたといわれています。(あおり足を使った泳ぎの神伝流として、大洲市が神伝流発祥の地であり、大洲郵便局裏の河川敷に発祥の地の石碑を立てております。)
日本水泳連盟認定流派に「神伝流」が既にあり、「主馬神伝流」として認定された。
「神伝流」は、大洲で大洲藩士として神伝流を学び松山藩の水泳指南役となった、伊東祐根、その子祐雄が神伝流をもとにして海での泳ぎ横体を基本とした、新しい神伝流「主馬流水術」を作り、教えを受けた、諸藩の武士たちを指導、津山藩(岡山)に宗家と共に主馬流水術免許皆伝を与えここからも全国に広がったため、神伝流の宗家が津山藩に移ったと誤認して、以後「神伝流」を名乗ったため日本水泳連盟から認定を受けた。
※主馬神伝流、行(ぎょう)の游形(およぎかた)
資料で「「行の游方」(図)はやや立体になり、手は「柔らかに水を掻き屈伸すべし」とあり、足は「下肢の右は表面、左は裏面に水を勿りね両脚相合うとき、身体は全く平面に伏し、前伸すべし」と平体あおり足で伸びる。「恰(あたか)も人の徐行するものの如く、静粛なるを要す」というように静粛に游ぐ。
図 主馬「行」の游方
日本水泳連盟審査基準
【主 馬 「行」】(しゆめ「ぎょう」)
目 的 流れのやや速いところを徐行するときに用いる。
約束事 落ち着いた気持ちで速くもなく遅くもなく泳ぐ。
動作上の留意点
姿 勢 正面に向かってかがむような体型をとり、脚はやや沈む。
足 脚 両足で静かに煽り、煽り越しをしない。
手 腕 両掌を下に向け、胸元より進行方向へ差し出し、掻手は斜め下へ掻き流し、伸ばした差手は腹の辺りへゆるやかに掻き流す。
評価・採点のポイント
① 四肢の力を抜き、無理なく泳いでいるか。
② 水に逆らわず、自然に進行しているか。


