水泳指導

 スポーツ少年団の規定で、①  心身共に健康な子供を育てる。②  礼儀正しく最後まで努力する子供を育てる。③  みんなで助け合い協力する子供を育てる。これが、僕の水泳指導方針であり、関わった人、みんな、水泳が好きになる。これが、僕の目標です。ただ、自己満足の為に、研鑽、行動を継続する。僕のライフワークです。

 

 

 

 2025.8.23(土) 9:00 水泳スポーツ少年団水泳競技大会

早朝雨が降っていたが、朝には止んで、暑くもなく、大会日和となった。

※設営・準備

大会準備のため7時30分、役員(本年度・来年度)、コーチが集まってきた。 準備物については昨日から運び込まれている。

○準備物

○設営図

 

 テント設営から始まり、約30分で、設営・準備はほぼ完了した。

 

〇大会準備が進む小学校プール

 

 

※役員・コーチ集合、打合せ

次第、役員表により、役員別配布物を渡し、それぞれの業務と全体の進行について説明する。

 

○役員表

 

 

※写真撮影

 8時30分団員が集合、プールに入れ、アップを行わせる。

 写真撮影のためプールを上がらせ、学年ごとに、コーチ補助コーチと共に撮影していく。

 

 

 

※大会開始

○次第

 

 開会式にの来賓には、小学校校長を迎え、定刻開会式がはじまった。多くの保護者も観覧席に集まっている。

 選手宣誓は、閉会式で、会長賞を受ける団員が行う事となっていて、緊張した雰囲気でおこなわれた。

 

最初に特級による式泳、主馬神伝流泳法、基本で奥義と位置付ける【真の泳方】【行の泳方】【草の泳方】で、大会の成功と安全を祈願して神の身滌を受けると言うものだ。

団員数の減少に伴い、規定変更5年生までであったものを6年生までを団員にした事により、1級の上に特級を設け、1級から、この地方で作られ、愛媛県指定無形文化財となり、日本水泳連盟から認定を受けた、日本泳法「主馬神伝流」泳法を必須としたことにより、それまでコーチが行っていた式永を、大会種目として特級が泳ぐこととなった。

日本泳法は、その名の通り、戦前までは、国が全国民に皆泳を義務付け、水難事故防止に最も適した泳方として泳がれ続けてきた泳ぎです。

 

〇競技

 

 級別の種目を、各級3種目として行い、途中順位発表を行いながら終了した。

 続けてコーチ・団員対抗リレーを選抜チームを編成しておこなった。以前、団員が最大120人に達していた頃は、地区別対抗等団員だけで何チームも出来、コーチは余興で1チーム作り、競技していたものが、変更されたものだ。

 最後に全員で宝ひろい、番号を付けた飲み物をプールに入れ、取ってき番号の景品も付与するものだが、これも、過去には、今では考えられなうが、よく行われていた、「黒んぼ賞」が出来なくなって、プールに沈むスチール缶をプールに沈めて取っていくと言うものに変わり。沈むジュースがなくなって、浮かぶジュースに番号くじとなったものです。

 

閉会式では、成績発表、賞状授与を行うが、表彰は、本年度全体を通しての、参加内容、姿勢についての表彰で、最も表彰されるのは皆勤賞(楯)、次に会長賞(金メダル)、副会長賞(銀メダル)、努力賞となっている。なお今日の競技成績は、級別、男女別に集計し、令和7年度大会新記録表、全表彰者を合わせて記載し、後日各団員に配布する事となっている。

会長賞、副会長賞も皆勤またはそれに準ずるものが受け、本年度は、6年間皆勤賞での表彰者が出たが、会長賞、皆勤賞も同時に受けた。

元々は、皆勤賞と努力賞しかなかったが、30周年記念大会で、市体育協会の補助を受け、会長賞、副会長賞を作り、そこから継続して表彰している。

 

 過去に、団員が120人に達した頃には、保護者は、泳げるようにはなって欲しいとの要望強く。掛け持ちで他のスポーツ少年団に所属していたが、それぞれの練習がきつくなっていて、掛け持ちが困難となった事と、幼少時にスイミングクラブに行かせる家庭が増えた事が、団員減少の大きな要因となっているようだ。