ミュージカルを中心に活躍する吉野圭吾(けいご)が主演する「傾く首~モディリアーニの折れた絵筆」(荻田浩一作・演出)が10月25日から上演される。宝塚歌劇団の座付き作家、荻田が、画家モディリアーニの生涯を題材に書き下ろした。来月、宝塚を退団する荻田がモディリアーニに託した思いは何なのか? 荻田に話を聞いた。


 「傾く首」は吉野主演で、小さな空間でせりふ主体の実験的舞台をと企画され、宝塚で異色作を生み出している荻田に白羽の矢が立った。


 荻田は「吉野さんの風貌(ふうぼう)、明るい人柄、それでいて神経質なところがモディリアーニと重なった。普段、ダンスで見せる躍動美だけではなく、ある種の病質なイメージも打ち出してみようと考えた」と意図を語る。


 物語は、モディリアーニの死から始まり過去へと戻る。内縁の妻、ユトリロら画家仲間、画商らとの生前の会話から、画家としてのこだわりや生きようを浮き彫りにしていく。傾く首とは、モディリアーニの描いた縦長の顔で首を傾けた肖像画から取った。


「芸術家がたどりつきたい場所へ行くには、捨てなければいけないものがある。その事実を受け入れようとしたある男の話。不器用に、愚直に生きる気高さのようなもの描きたかった」


 ■貧困の画家の日常


 モディリアーニは1884年、イタリアで生まれた。パリでの成功を夢みたが生前、絵は売れず貧困の中、35歳で病死した。この舞台では大きな事件は起こらず、日常のエピソードが淡々と語られる。


 「脚光をあびずに死んだ男が、ゆるやかに死を迎える姿を書いた。商業演劇では、事件が起きて顛末(てんまつ)があったほうがいいでしょうが、僕はそういうのは空々しく感じるので」と荻田。


 ダンスや歌のない作品は、ミュージカル俳優にとって試練だが、「ミュージカルの人材が、どこでも通用する可能性があることを見せたい。吉野さんには、器用ではないからこその生々しさがある」と自信をみせる。


 ■16年間にけじめ


 荻田はこの後、11月16日付で16年間在籍した宝塚歌劇団を退団する。伝統を打ち破った斬新な発想で、ビジュアルにこだわった美しい舞台は、“荻田ワールド”と呼ばれ、観客にも出演者にもファンは多く、惜しまれている。


 荻田は退団の理由を「宝塚が大好きなだけに、距離をとりたかった。歌劇団と出演者のための作品をつくってきたつもりだけど、結局は自分のつくりたいものになっていたのではないか、宝塚歌劇にふさわしいものだったのか自問もあった。劇団外の仕事も、座付き作家という肩書のままやるのがズルい気がしてきて決意した」と話す。


 今後の予定はまだ具体的に決まっていないという。「タカラジェンヌと同じで、辞めてから考えます」と笑う。

 「16年間にけじめをつけて、夢からさめた中で何ができるか考えたい。時間ができるので、役者に当て書きするのではない自由な脚本も書こうと思っています。いつかは宝塚ではないオリジナルのショーも作ってみたい」


 自分にしかできない表現に愚直なまでにこだわり続ける荻田の、今後にも注目したい。(文:田窪桜子(おうこ)/撮影:荻窪佳/SANKEI EXPRESS)


 ■おぎた・こういち 1971(昭和46)年京都生まれ、大阪育ち。大阪大在学中に宝塚歌劇団の演出助手に合格し、卒業後に入団。97年、宝塚バウホール公演「夜明けの天使たち」で演出家デビュー。ミュージカル「蜘蛛(くも)女のキス」の演出など劇団外部でも活躍。繊細で美しい世界観、出演者を生かした構成に定評がある。11月16日付で宝塚歌劇団を退団する。

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 【ガイド】

 10月25日~11月3日、赤坂RED/THEATER (電)03・5638・1311

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/081016/art0810162008002-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/081016/art0810162008002-n2.htm

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/081016/art0810162008002-n3.htm

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/081016/art0810162008002-n4.htm



オギーが公に語った退団の理由。宝塚にふさわしいもの、観客が宝塚に求めるものなんてさまざまだろうし、それはときと共にちょっとずつ変わっていくだろうし。そもそも全く変わらないなんてツマラナイしなあ。


ともかくも、自問を続けたオギーは来月大好きな宝塚を飛び出す。宛書ではない、本当に書きたい脚本がどんな作品なのかが楽しみだし、宝塚ではないオリジナルのショーがどんなものになるのかにも興味がある。でも一番に興味があるのは、いつの日にか再びオギーが宝塚のために脚本を書いて演出する作品。自問を続け、いったんは距離を置いたオギーの結論、これこそが宝塚なんだというものがどんなものなのか、が知りたい。