カラパイアより
もう涙が止まらない。人生のどん底を支えてくれた愛犬に心からのありがとうとさようならを告げるショートフィルム「デナリへ」
「大切な親友にさよならを言うのは、そう簡単なことではない」。
唯一無二の親友がいた。4本足の親友は常にそばに寄り添い無償の愛で支えていてくれた。ステージ3の癌と告げられ、闘病生活を続けていた時も、その親友は病院のベッドの上で励まし続けてくれた。
この動画は、アメリカ在住の写真家ベン・ムーン氏が今は亡き、愛犬デナリとの思い出をつづった追悼ショートフィルムである。
ベン・ムーン氏がデナリと出会ったのは16年前のことになる。後にムーン氏のベストパートナーとなるその子犬は、動物保護施設でちょこんと座りながら里親を待っていた。デナリはベンに引き取られ、二人は一緒に山登りに言ったり、星空の下でキャンプをしたりと、楽しい時を過ごしながら絆を育んできた。
ところが、ある日突然ベンに病魔が襲う。彼は、ステージ3の癌と診断された。ベンが抗癌治療を受けている間、デナリは病院のベッドの上でぴったりとベンに寄り添い見守りつづけた。デナリの献身的な愛に支えられ、ベンはなんとか癌を克服することができた。しかし、今度はずっとベンの回復を見守ってきたデナリが癌と診断されたのだ。
獣医に告げられた言葉は重かった。デナリの余命は1ヵ月。今度はベンが、自身の闘病生活を支えてくれた愛犬を支える番だった。
ベンとデナリはアウトドアが大好きだった。ロードトリップをしながら暮らす彼らにとって、帰る家とは自然に囲まれた場所だった。ベンは、デナリが最後の家に帰れるように、遠く離れた大自然へデナリを連れていった。
この映像作品は深い絆で結ばれた愛犬に捧げるベンの想いが込められたものである。いつまでも耳に残る波の音、海辺を駆け回る4本の足、彼らの絆は永遠に消えることはないだろう。
映像内でベン・ムーンが語る言葉は、愛犬デナリに成り代わって語ったものだ。
ベンは僕が死ぬことを分かっている。
それが癌のせいなのか、それとも他の理由によるものなのかは分からない。今、僕はベンと一緒に、これまでに行ったことのある全ての場所をまた訪れている。
ベンはしきりに僕の体を観察してくる。僕の様子を気遣ってくれているんだろう。そして、こないだ僕にこう言った。「行く準備ができたら、教えてくれよ」と。僕に苦しい思いをさせたくないとも言った。
ベンと一緒に生涯を過ごせて本当に楽しかった。
彼は写真家だ。都市にいるのはあまり好きじゃないらしい。だから、僕らはいつも旅をしていた。彼の友達に言わせると彼は「自由な精神」の象徴みたいなものだという。
いろんな所でキャンプをした。彼の恋人探しも手伝ってあげたし、サメに会いにも行ったし、一緒にヨガもした。彼は僕がキスをすると喜んだ。有名人とも一緒に遊んだんだ。砂漠でセーリングもしたこともある。
自意識過剰だった時期もあったかもしれない。僕はとってもカッコイイんじゃないかって。
それに気づいたベンは、僕にも生活のために仕事をしろって言うんだ。人間が作った変な衣服。最初は、こんなものを着せられ屈辱的だと思ったけど、みんなが「似合う」とか「素敵」とか言うから、そのうちこれもアリかなって思うようになってきた。
でも仕事は想像してたより大変だった。カメラが並ぶスタジオの中で、愛情のこもったキスをしろと言われても、どうしても安っぽくみえるだろ。それでも... あの頃は楽しかったな。
大抵の人は、老犬を家から連れ出さない。でも、ベンは違った。僕をもう一度思い出の詰まった場所に連れて行くと決めたみたいだ。僕の側から離れられないと感じたんだろうな。
10年前、ジョシュアツリー国立公園(米国、カリフォルニア州)でキャンプをした時のことだ。キャンプファイヤーをしていると、ベンが突然立ち上がり、そして倒れた。辺りを血の匂いが包んだ。彼は血を流していた。
それから事態は一変した。
ベンは癌を治すために化学療法を受けていたが、逆に抗ガン剤が彼を殺しているようにも見えた。ベンを舐めると、彼からは血から染出た化学薬品の味がした。僕をこの病院から連れ出そうとするなら、相手が誰であれ顔に噛み付いてやる。僕はベンの側にいたいんだ。
ベンが生涯、胃に取り付けられたビニール袋に大便をしないといけない、と知った時は気の毒に思った。だって彼はすでに僕の大便もビニール袋に入れるという使命があったから。
でも一番つらかったのは、保険会社から届いた一通の手紙だった。目ん玉飛び出るほどの請求額。その時僕は最高の夢をみた。僕に狂犬病があり、その保険会社に忍び込み、鎮静剤で眠らされる前にできるだけ多くの保険会社の人間に狂犬病を広める夢だった。
癌がベンから去ってくれて本当に嬉しかった。もし彼がいなかったら、と考えると今でも怖くなる。
この一週間、僕は彼のためにも弱音ははかないと決めていた。ベンも最悪の事態が訪れたとき、弱音ははいていなかった。
最後の夜はとても穏やかだった。お腹もすいていなかった。だからベンに告げたんだ「準備ができたよ」と。その夜、僕は一晩中、彼の胸の上で眠った。
翌朝、目が覚めるとベンが獣医が待つ車まで運んでくれた。その時、彼が「カラスに襲われた」とだけ言った。
人間は犬からたくさんのことを学べると言った天才的な科学者がいた。そいつは、愛するものがドアを開けて入って来るとき、例えそれが一日に5回であろうとも、毎回全身で喜びを表現するべきだって言ってたな。
確かに自分は、ベンがドアから入ってくるその瞬間、うれしくてうれしくて、全身でその喜びを表現してたっけなー・・・
私は、去年末に東京からはるばるペットの犬10匹と猫3匹をフェリーに乗せて
遠く離れたこの地に疎開しました。
犬舎の犬達は、かつてつきあいのあった長野県のあるブリーダーに一時的に預けました。
「子供が生まれたら売って犬達の養育費にしてください」という契約をし、
私の手元に戻らないかもしれないという覚悟の元に預けました。
管理方法、餌などもすべて任せて。
そのブリーダーは良心的な人ですので、ひどいことにはならないとは思いましたが、
それでも一度に多くの犬達が増えたことが相当に負担になったようで、ある日電話があり
「悪いけれど管理しきれないから」ということで、3月に私の手元に全員戻ってきました。
相手の人が指定した返却日は、偶然にも私の誕生日でした。
本来、夏ごろまでに犬舎を完成させて連れ戻す予定でしたが急遽とっかん工事をして
受け入れ態勢を整えました。
その頃、私と一緒に東京からつれてきたシニア犬のうちの一頭の心臓病の持病が悪くなり、
私はその犬と少しでも長く濃い思い出をつくるために、私の寝室におくことにしました。
彼女はとても嬉しそうで、私がバイトから帰ってくると飛び上がってクルクル回りはしゃぐのですが、あまりにはしゃぎすぎて発作を起こしてしまいます。
例のエンパスの犬が彼女です。「あまりはしゃぐと心臓に悪いから」と諭すのですが、
喜びは抑えられないようです・・
最近、彼女と一緒に夜も寝ているせいか、昔とは格段にレベルが違うインスピレーションが
次々と入ってくるようになりました。複雑な内容のものや個人的なものはブログで紹介できませんが、そのインスピレーション情報によって何度も希望を失いそうになる気持ちが救われました。
何よりも彼女と一緒に眠れるのは最高のギフトでした。
本当は、医者の見解からするととっくに死期は過ぎているのです。
でも、彼女はまだ自分の目的を果たしてないからこうして頑張って生きてくれています。
私には痛いほどその気持ちがわかります。
彼女の目的とは・・私が真に幸せに続く道を歩めること・・です。
例のレセプターがついていたときは、影響が危険すぎてこのような告白はできませんでしたが、
今朝、この記事を見つけてこのことを書こうと思いました。
本当は今朝夢で得た「次元」についての新たな気づきを紹介する予定でしたが^^
動物を飼ったことがないひとには実感できないかもしれませんが、動物達の愛こそが
「無償の愛」であると私は確信しています。
人間に無償の愛を教えるために存在してくれている素敵な魂達です。