前回の記事で紹介した医師のような、ADHDを自ら自覚し臨床経験50年の医師はともかく、未だ精神病について教科書のようなマニュアルの知識しかない医師に、ましてや、どんな状態になるのか経験したことのない医師に、はたまた、未だ科学的根拠が明らかにならない精神疾患について診断ならびに処方、アドバイスを下す医師は必要ない。

というか、存在する意味がない。

下手すれば、患者の症状が悪化する可能性すら十分あり得る。

私はうつ、パニック、自律神経失調症を自ら経験し、調べ、研究し、稚拙ながらも改善に導いた。
確かにその方法論は、個々人のもので、全ての精神疾患に対応できるものとは思わない。

そもそも、精神病という概念にとらわれすぎなのだ。
人は人の個性を自分の都合よく当てはめたがるように、医師はまず「精神病」という概念が存在する、というところから始まる。

そんなバカな医師に考えてほしい。
「精神病という概念は一体何か」


私はこの精神疾患について、マジョリティ、マイノリティ、という民主主義的な考えから定義された概念だと考えている。

相対的に見て、少数派がいわゆる精神疾患と名付けたのだ。
精神病とはドイツの医師が初めて定義付けたものだが、その後、数十という精神病の概念を定義づけるに至った。
だが、それは現在では、逆に患者を苦しめてると言える。

医師は基本的に患者の主張や挙動、心理分析などを行い症状を確定させる。
極論すれば、うつ病でもなんでもない、ただの個性をうつ病と名付けるケースだってあるはずだ。

医師もいわゆる普通の人間も同じように、相対する人間を定義付けたがる。
これは偏見とも言うべきだ。

この世には偏見度の大小はあれど、非常に人を偏見視している。

まずは、精神疾患をマニュアルで知識を詰め込み対処するのではなく、まず、対人間としてイチから接することを初めとして接してほしいと願わざるを得ない。