小学5年生の夏にね、こどもミュージカルというものに出演したんです。コント劇の再演をしたバークアップにほど近いまどかぴあ というところで、2年に一度行われてて、参加できるのは5年生からだったんだけど、一つ前の作品に姉が出てたから、私もしたいといって、5年生の時にオーデションを受けて。舞台が好きとか、芝居がしたいとか、まったく考えたことなかったけど、ただ、やってみたいってだけで。

作品は、銀河鉄道の夜。公演は7月31日と8月1日。計4公演。
私の役は、かおる子という少女。すごく長台詞があって、それがすごく嬉しかった。ダブルキャストで、もう一人は同い年のお人形さんみたいに可愛くて歌がすっごく上手な子。私は歌が苦手で、相対的に演技が好きになった。


こどもミュージカルとはいえ、大人の役者さんが5人。カンパネルラのお父さん役の役者さんは、最後の最後に参加されて、カンパネルラのお父さんだ、って思っていたけれど、4人の役者さんはずっと稽古から一緒な作品を作り上げてきて、楽しんで、常に真剣で、時には怒ってくれたし、慰めてくれたし、子どもだからとなめずに向き合ってくれた。そしてなにより、初めて本気の芝居を肌で感じたのがその人達だった。その姿は本当にかっこよくて、今でも私が目指す役者像だったりする。わたしもいつか、大人役者したいって思うくらい、憧れの方達。


4月の頭から稽古して、週に2回の稽古を4ヶ月。本番が近くなるともっと短い間隔で稽古して、いま思えばよくできてたなと思うけれど、ダブルキャストで、でも、どっちの公演にも出る。つまり2公演分覚えるということで、そこにダンスも歌も。改めてよくできたよね。

小道具や衣装はお母さんたちが作ってくれたり、手伝うワークショップがあったり、みんなで持ち寄ったり、演出家の方、スタッフさん、技術さん、キャスト、家族みたいに大切な場所で、だけどどこか負けたくなかったり、一緒に頑張ろうとしたり、人間的なものを学んだのもそこでした。

だけど、その頃の私は、今よりももっとロボットチックというか、どこか人間味がないというか、認められたくて必死な子どもだったように思うんです。子供らしさがなくて、要点抑えてやるような、いま思えばちょっと気持ち悪い子で。だけど、お芝居は好きだった。別人になれて、対等でいられて、私としてみられないそれが。本番中、小道具の大きなプリッツを裸足で踏んだらしいんだけど、そんなこともまったく気づかないくらい、のめり込んでた。本当に、その時間がだいすきだった。


打ち上げでの衣装もらうじゃんけんに勝って持って帰った、今もクローゼットにかかる赤いワンピースは私の宝物で、それまで紫だらけだった持ち物に赤が加わったのはその頃で、いまでも歌は歌えるし、セリフも言えてしまう。そのくらい体に染み付いたそれを、わたしは一度捨てた。そのことを、ずっと後悔しているんです。


なんでか本当にわからないのだけど、役者という選択肢を排除しようとしたことがあったんです。


わたしは、その時持ってた、唯一のその台本を、捨てた。


セリフがいくら言えたって、歌もダンスもいまだにできたって、誰かがそれを持ってたって、いまはもう、そこにわたしが何を書いてたのかも、どんな日々を過ごしてたのかも、世界で誰も知り得ないんですよね。わたしはすぐに忘れてしまうから、その日々を思い出すことはできなくて、世界のどこを探しても、わたしの台本はないんです。それから時が流れていま、本当に後悔してる。本当に。

残ってるのは、DVDと、何曲か分の楽譜と、練習用のCD。それと、自分の記憶。
それから、観た人と、一緒にいたみんなの記憶だけ。

だからね、もう後悔しないように、捻くれずまっすぐになるって決めたんです。殊更夢に対しては。あの頃のわたしが残してくれた数少ないものの中の一つが、夢だから、それを道しるべに。

ほんとうにさいわいのために。

もうすぐ10年。




なんでこんなことを突然書いたかというと、大好きで尊敬しているこの時お世話になった、さかせさんこと、酒瀬川真世さんがブログで名前を出してくれていたから。懐かしくなってしまったのです。

いつかお仕事できるように、目の前のことにまっすぐに、頑張ります!


明日は公演始め。わたしのいまのホームはこの劇場なので!!!!めるちゃんのお祝い頑張るぞーー!!!

ではまたあした!


おやすみーやさんとのデート最高に楽しかった❤️