中するとは手を入れること、解決策シャンプーに始まりシャンプーに終わる見龍時代

☆学問とは~帝王学の書~6月17~24日の8日分の『易経一日一言』(致知出版社)​


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【中するとは手を入れること、解決策】

易経には「中する」ということばがあります。
その時にぴったりの、という「時中」と意味は同じですが、
「中する」ということは動きがともないます。
 
人がその時に自ら趣(おもむ)いて、「手を入れる」という行動をいいます。
 
陰の時は、従い、受け入れるという陰の力を発揮することで、
自然に新たな陽の力を引き込むのです。
それが「中する」ということ、ものごとの解決策です。
 
  『超訳 易経 陰』青本より



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【シャンプーに始まりシャンプーに終わる見龍時代】

たとえば、美容師さんの実力の基盤は
何によって築かれるかというと、
見習い時に覚えるシャンプーなのです。
美容師の仕事は、
シャンプーに始まってシャンプーに終わるといわれます。
 
最近では、機械のシャンプー台を導入しているところもありますが、
技術を身につけた美容師さんに聞くと、
基礎を築くのは、やはりシャンプーだといいます。
 
シャンプーを繰り返し、繰り返し、徹底的にすると、
指に目がついたようになって、「見る力」がつくのです。
一人ひとりの頭の形、髪の質、くせや硬さ、太さなど、
あらゆる情報を理屈抜きに
手の内に入れることができるようになるそうです。
 
シャンプーで培った力が、
カットやスタイリングの技術につながっていきます。
どれだけ本を読んで勉強しても、
シャンプーに勝るものはないそうです。
 
そして技を極めた美容師は、頭を触っただけで
その人の体調や体の癖までわかるようになるといいます。
これこそが、乾惕や躍龍の段階で身につく、
見えないものを観る洞察力です。
 
  ​『超訳 易経 陽』赤本より​


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易経一日一言は 6月17~24日の8日分です。

※易経一日一言を一年間通して読まれれば、
易経に書かれているおおよその内容を把握出来ます。


☆本当は一日一言は毎日投稿した方が良いのですが、
出張や資料作りに追われていて、数日分を纏めてUPします。

~帝王学の書~6月17日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆咸 臨(かんりん)☆
 
咸(かん)じて臨(のぞ)む。
貞(てい)にして吉(きつ)なりとは、志(こころざし)正を行うなり。
                    (地澤臨)
 
「咸臨」は上に立つ者、下にいる者、君臣が心で感じ合い、
一致協力して事に臨んでいくこと。
それぞれが悦(よろこ)んで応じ合い、正しい道を行き志を行う。
そのゆえに吉なりとある。
 
万延元年(1860年)、日本人初の太平洋横断を成し遂げた
咸臨丸(艦長・勝海舟)の船名はここからとった。
太平洋横断という大事業を成し遂げるには、
全員の協力が欠かせないことからの命名であろう。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月18日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆節 度☆
 
節してもって度を制すれば、財を傷(やぶ)らず民を害せず。
                 (水沢節)
 
節するに度を弁(わきま)えたならば、過不及なく財を守り、
人に迷惑をかけることもない、といっている。
竹は節目で一度塞(ふさ)がり、また通る。
程よい節を設けることで、真っ直ぐに生長していく。
 
そこから「節」には、程良く節する、
また物事の通塞を知り、出処進退を弁(わきま)えるという意味がある。
 
会社組織も家庭も、「節」によって経済は守られるのである。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月19日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆分相応☆
 
君子もって思うことその位を出でず。 (艮為山)
 
君子は自分の思いが分限や器量(位)に止まり、
力量以上のことをいたずらに欲しない。
 
そういう姿勢に徹すれば、自然に「これは自分らしくない」と、
本来の自分に相応しいところに思い止まることができる。
 
艮為山(ごんいざん)は止まる時を説く卦(か)。
分相応であることの大切さを教えている。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月20日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆助けを求めて吉☆
 
馬に乗りて班如(はんじょ)たり。
婚媾(こんこう)を求めて往けば、吉にして利ろしからざるなし
              (水雷屯)
 
何とかしなければと馬に乗ったものの、自らの力不足を知って、
地位が下の英傑に助けを求めるのは吉である。
 
これは新しい物事の始め、また新たな改革を行う時は
新しい知識や方法が必要であることを教えている。
 
「班如」とは引き返すこと。
「婚媾」は婚姻を意味するが、
ここでは下位の人に助けを乞うという意味。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月21日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆学問とは☆
 
君子は学もってこれを聚(あつ)め、問もってこれを辯(わか)ち、
寛もってこれに居り、仁もってこれを行なう。
                 (文言伝)
 
「学問」という言葉の出典。
「これ」とは徳のこと。
「学問」とは、学び、そして書物や師に問い、自問し、
為すべきことを弁別すること。
 
そして、学んだことを会得したら、
「こうでなくてはいけない」と狭量にならず、
人にも自分にも物事にも、
寛容な心で思いやりをもって実行することが肝要である。
 
※この続きは ↓ 
【「学問」という言葉の出典~
     自分に問いかけながら学ぶ】


「君子は学もってこれを聚(あつ)め、
問(もん)もってこれをわかち、
寛かんもってこれに居り、仁もってこれを行なう。
易に曰く、見龍田に在り、
大人を見るに利ろしとは、君徳なるなり。」
 
竹村 意訳:
師に学び、学ぶべき基本の型の数々を集めたなら、
疑問点をまず自分に問いかけて、理解を深めることだ。
その時に自分の考えで何が是か非かなどと決め付けず、
正解は一つではないと探究しながら、
あらゆることを受け容れる寛容な姿勢が大切である。
 
そして学んだことを、人や物事に対して、
思いやりをもって実践する。
初心の見龍が、大人を仰ぎ見て基本を体得するならば、
君子の徳を身につけるだろう。
 
「学もってこれを聚(あつ)め、問もってこれをわかち」
という一文は、「学問」という言葉の出典になっています。
基礎を作るために必要なものを集めるということです。
それは、何か一つだけではなく、
いろんな形、型を何度も、何度も見て覚えることです。
 
「問もってこれをわかち」とは、
師に問いかけるより前に、
まず自分に問いかけなさいということです。
 
自問自答のやりとりをしながら、
ああでもない、こうでもないと考えることで、
学んだことを咀嚼(そしゃく)していくのです。
自分のものにするために興味をもって、
イマジネーションを膨らますことが大切です。
 
もし、自分から知りたいと思わなかったら、
問いは出てきません。
また、片っ端から師に質問して答えをもらおうというのは、
学問ではないといっています。
自分の中で十分に考え練って、その後でする質問というのは、
凝縮されていて本質を突く鋭い質問なのです。
 
また、よく「要点だけを教えてください」という人がいます。
要点を聞いて、短絡的に「わかった」というのでは、
本当にわかったことにはなりません。
 
たとえ表現が同じでも、自分の経験を通して学んだこと、
肚に落とし込んで自分で出した答えは
重みがあり、力を発揮するのです。
 
まず学び集めて、自問する。
これを何度も、何度も、繰り返すことによって、
学ぶべきことのピントが合ってくるのです。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月22日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆苦しみに習(なら)う☆

水しきりに至るは習坎(しゅうかん)なり。
君子もって徳行を常にし、教事を習う。
                (坎為水)
 
「水」は苦難、険難を表す。
「水しきり」とは、険難が次々に流れて押し寄せてくる様子をいう。
 
その度に自ら険難を受け容れ、水に逆らわず流れ進むように、
何度も繰り返し苦しみを習う。これを習坎(しゅうかん)という。
 
君子とは、度重なる苦しみの中にあっても逃げず、止まらず、
前に進み続けるのを常にし、下の人に教え、習熟させる者である。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月23日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆悦(よろこ)びは志を叶える☆
 
説(よろこ)びてもって貞(てい)なるに利(よ)ろし。
ここをもって天に順(したが)い人に応ずるなり。
                (兌為沢)
 
悦(よろこ)んで進む時、志は通る。
ただし、悦びにも正と不正がある。
賄賂で喜ばせて物事を通すのは、道に反する。
事を行うには、天の道に順い、
人の誠心に一致していなくてはいけないのである。
 
兌為沢(だいたく)の卦名(かめい)「兌」は沢。
つまり兌為沢は沢が二つ連なった卦(か)で、
悦ぶ、悦ばせるという意味がある。
また、「兌」の字は、天の気が降りてきて
祈りを聞き届けるということを示す象形になっている。
 
 
 
 
~帝王学の書~6月24日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆損益(そんえき)盈虚(えいきょ)☆
 
損益盈虚は、時と偕(とも)に行なわる。(山沢損)
 
収入より支出が多い時は、いくらケチといわれようとも、
徹底的に質素倹約に勉めることだと教える。
 
その一方で、しかし、それも時によってであり、
利益がある時には利益を還元すべきであるともいっている。
 
目の前の利益を増やすために、
いかなる時も節約・倹約することは、真の「損」ではない。
損すべき時に損すべき損をせよ、と
山沢損の卦(か)は教えている。
 
        ​『易経一日一言』(致知出版社)

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