【天命の終わりを楽しむ】

個人の人生においても、
勢いのある成就した人生を楽しんでいる
五十代、六十代の時に
死に方の研究をすべきなのです。
死に方を考えるということは、
生き方を考えること
です。
 
易経には次のような言葉が書かれています。
 
「日昃(かたむ)くの離なり。
缶(ほとぎ)を鼓(う)ちて歌わざれば、
大耋(だいてつ)の嗟(なげき)あらん。凶なり」

 
竹村 意訳:
一日の終わりに日が西に傾く時に
酒器を叩いて歌い楽しめないならば、
老いを嘆くだけになる。凶である。
 
「大耋(だいてつ)」は九十才、百才の大老の意味ですが、
必ず日が傾くように、人間も年を取り、没し、
次の生命に役割を受け継いでいきます。
生あるものは必ず死を迎えるという事実を受け容れて、
天命の終わりを楽しみなさい。
まだ没したくないともがくのは、
時を知らない人だと教えています。
 
亢龍になる前に諦観ができたなら、
その退き方も見事なものになります。
自分のやってきたことを振り返りながら、
ゆっくりと降りていけるならば、
その間に後進を育てることもでき、
悠々と表舞台から退場できます。

 
      『超訳 易経 陽』赤本
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