易経一日一言は11月27日~12月3日の7日分です。


※易経一日一言を一年間通して読まれれば、
 易経に書かれているおおよその内容を把握出来ます。

 


~帝王学の書~11月27日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆謙(へりくだ)る☆
 
地中に山あるは謙(けん)なり。(地山謙)

 
「謙」は「へりくだる、控える」、さらに「快い」という意味がある。
 
高い山が自分は高くないと地の下にいく。
このように快く謙るのが真の謙虚さである。
 
たとえば、物事を学べば学ぶほど自分の学びが足りないと思い知らされる。
すると恥ずかしくて自慢などできない。
もっと勉強しようという気持ちになるものである。
 
地山謙は、
そのように謙る精神の大切さを説いている卦(か)である。
功績が認められなくても不満をいわないものである。
 
 
 
 
~帝王学の書~11月28日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆形而上と形而下☆
 
形よりして上なるもの、これを道と謂(い)い、
形よりして下なるもの、これを器(き)と謂(い)う。
               (繋辞上伝)


形而上学の語源である。
ここでいう形而上とは、目に見える形になる以前の実在。
それは一陰一陽の道であり、易の精神であり、変化の原理である。
 
道が目に見える現象として
具体的な姿形・言葉・行動で表現されたものが「器(き)」。
道はその器(き)に盛りこまれた内容をいう。
 
我々は器(き)を通して道を学び、物事の本質を知ることができる。
 
 
 
 
~帝王学の書~11月29日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆人を見る目☆
 
人を見る目が養われるのは、社会の最下層にいる不遇の時代である。
いずれ世の中に認められ、それなりの立場になると、人は本心を見せなくなる。

 

世間の風当たりの強い時こそ、
嘘偽りのない人の心根に触れ、人情の機微を知ることができる。
 
不遇な自分に対する人々の接し方から、
思いやりの大切さや人への応対の根本を学ぶのである。
 
 
 
 
~帝王学の書~11月30日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆幾と機と期を観る☆
 
「幾」は、「ごく僅(わず)か」「兆し」「機微」を意味する。
「機」は仕掛けを動かす小さな木軸。
そこから、物事の仕組みのツボ・勘所という意味がある。

 

「期」は約束された時。時が熟し、満ちることである。
 
「幾と機と期を観る」とは、物事を成し遂げるために必要な力である。
 
ごくわずかな物事の変化の兆しを察し、
その物事を動かす勘所に焦点を合わせたら、後は、
時の熟するのを待つことが大切である。 
 
 
 
 
~帝王学の書~12月1日の『易経一日一言』(致知出版社)
 
    ☆神 武(しんぶ)☆

神(しん)はもって来(らい)を知り、
知はもって往(おう)を蔵(おさ)む。
それたれかよくこれに与(あずか)らんや。
古の聡明叡知、神武(しんぶ)にして殺さざる者か。
                (繋辞上伝)

 
霊妙な徳をもって未来を知り、過ぎ往く過去を蔵(おさ)める叡知を持つ。
過去と現在、未来を掌握するなど誰ができるだろうか。
 
それは聡明叡知にして、神武(しんぶ)を持ち、
人を殺さなかった古代の聖人であろう。
 
「神武(しんぶ)」とは、神の如き武勇。
刑罰を用いたり威嚇しなくても、人が心服する武徳。
神武天皇の諡(おくりな)の出典という説もある。
 
 
 
 

~帝王学の書~12月2日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆正しいことを誇らない☆
 
世に善くして伐(ほこ)らず、徳博くして化す。
                 (文言伝)

 
正しいことをしたから、
あるいは素晴らしい商品を世に出して賞賛を得たからといって、
誇ってはいけない。
それは当たり前のことをしただけのことだから、
正しくない人や、それができなかった人を責めてはならない。
 
すると、その徳は世に広まり、人を感化する。
その姿勢と行いが当たり前のこととして世の中に広まり、
人々は感化されるのである。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月3日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆退く勇気☆
 
亢(こう)の言(げん)たる、進むを知って退くを知らず、
存するを知って亡ぶるを知らず、得るを知って喪うを知らざるなり。
                    (文言伝)

 
「亢(こう)」は驕り高ぶったリーダーの喩え。
進むことだけで退くことを知らず、
繁栄し続けると思い込み、衰退することを考えない。
利益を貪(むさぼ)って、失うことを知らない。
 
賞賛され続ける優れた人ほど、危機管理能力を失いやすい。
退くことを厭(いや)がり、省(かえり)みることを渋るのは、
自分も物事も客観視できなくなったことの表れである。
 
        ​『易経一日一言』(致知出版社)

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