ジブリの映画「君たちはどう生きるか」、やっと観てきました。
 
 
と言っても観てからだいぶ日が経ってしまって…もうかなり忘れてしまっているのですが^^;
感想を書きたくて。
 
 
いろいろと噂は聞いていたのですが、内容は全く知らずに観ることができました。

そんな体験も昨今珍しいので、よき体験でした。

 

 

 

以下ネタバレありますのでまだ観てない方はご注意を…

いち視聴者の、気楽で勝手な感想であります。

 

 

 

 

 

 

これは、いつぞやのアオサギ(たぶん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず冒頭の火事のシーン、主人公の眞人くんが焦る心のまま駆ける、あの夢の中みたいな描かれ方を見て「ああ、これはこの子の主観だ」と感じました。

 

この主人公の子の、この時の感覚を絵にしてる。

 

その時、「これは児童文学かも知れない」と思いました。

 

 

 

子ども向けの小説『ゲド戦記』や『思い出のマーニー』『トムは真夜中の庭で』などなどの作品を思い出しました。

 

 

それらの小説では、今のこの生活と地続きに、不思議なことが起きます。

今ここと地続きに、意識の階層の深い所へ旅をするのです。そして変容して帰ってくる。

 

 

わたしはジブリに詳しくないですが、駿監督が児童文学に造詣が深く、モチーフやオマージュにしているのは知っていました。

 

 

意識の階層を旅するので、主人公の子が「何をどう感じているか」が重要なのですよね。

そこが変容していくのが、児童文学の旅だなあとわたしは思っています。

 

 

 

妙にズッシリと車から降りる新しいお母さん。

自分の気持ちがこみ上げるが、ぐっとこらえる眞人くん。

(ああ、いろいろと気がつくけれども、この人を傷つけないようにとこらえる子なんだなあ)

 

 

立派なおうちに着いて、荷物に群がるお年寄りたちを卑しく不快だと感じている。

(こういうふうに見えている、感じている、眞人くんの主観の描写)

 

 

 

弓を扱うところや芯のある心持ちが、眞人くん、アシタカに似てますよね…

(アシタカも神さまがモデルだってお話がありますよね。おもしろい)

 

 

 

アオサギは、あのお鼻と、そしてあっちの世界へ導くのを見て、おやっこれはサルタヒコじゃないの。

道案内の神さま。

わたしは神さまのお話に全然詳しくないのですが、手塚治虫の火の鳥に出てきたサルタヒコ。

情が移って裏切りきれないところもサルタヒコ。

 

 

 

 

ジョルジュ・デ・キリコの絵のような回廊が出てきたり、べクシンスキー(←追記:間違えとる!ベックリンだった!)の絵のような島が出てきたり、「あっ、きっとこれはあれのオマージュだぞ」と気がつけるのは楽しかったですねえ。

 

 

他にもオマージュがあったのかも知れないけど、わたしが気づけたのはそのくらい。

 

 

 

キリコさんの名前は、デ・キリコからとられているのだと思うのですが…

キリコさんは自らを生粋のこの世界の生まれ、と言っていたので、その世界の名前なのかなあと。

だからキリコさんは眞人くんと一緒にあっちの世界に行く流れだったのかな。

 

 

あっちの世界で生まれた人が、こっちの世界に出てきて歳をとっている…すんごくロマンがありますよね。

 

 

 

あとわたしは鳥といういきものが好きですので、鳥がたくさん出てきて嬉しかったです 笑

 

 

 

ヒミが炎の中から現れた時の、「あ…これお母さんだ!」と感じた時のぞわぞわは凄かったですねえ。

 

ヒミ、好きだったなー。

 

 

 

夏子さんの寝ている空間の描写も良かったですねえ…!

あれ、たぶん夏子さんの無意識とも繋がっているのかなと思っていまして。

(無意識はみんな繋がっている)

 

だから表層では言及しなかった、見ないようにしていた、「眞人くんに嫌われている」という発言をしたんじゃないかなあと。

 

あるいは、本当は気付いている、と眞人くんが深いところで感じていたとか。

その両方か。

(嫌い、というより、とてもその時はまだ受け止めきれない、というような感じを受けましたが)

 

感情が高ぶった時に、夏子さんの表情がちょっと怖く、気持ち悪い感じになるのも夢っぽい。

 

 

 

千と千尋~の時もそうでしたが、終盤の決定的な選択の瞬間、

その時は、「なぜそれを選んだか」は描かれないのですよね。

 

意図的にそうしてると思うのですが…

 

 

今回観ていて思ったのは、「これだと感じるその感覚・直観は、どんなふうに来るかはその時々で、またひとによって違う」から描かないんじゃないかなあ?と。

 

描いてしまうと、「こういうもんなんだ」と観る人に固定観念がついちゃうかも、という理由なんじゃないかなあ、と思いました。

 

 

 

最後にヒミとの会話で、眞人くんは過去に起こったことを肯定できるようになる。

そういうふうに思ってたんだ、と、視点を変えることができた。

そうして、もとの世界に帰っていく。

帰ってきた眞人くんは、以前の眞人くんとは変わっている。変容している。

 

 

わあー、児童文学ですねえ…!!(すきーー)

 

 

 

わたしはここしばらく集中して、感覚を見つめるワークをしてきたからだと思うのですが、この映画を観ている時の感覚が、そのワークをしている時と同じ感じがしました。

 

感覚や感情に気づく、見つめて感じる、その過程と、この映画を観ている時の感覚が似ていました。

 

 

だから、例えば眞人くんが老人たちのお人形に囲まれているシーン。

「あ、守ってくれてる」とスッと入って来るのです。

 

「無意識の言語」みたいなものが、スッと入って来る。

 

その体験は初めてでした。

(夢を読むのとも似てる。)

 

 

 

わたしはワークを続けてきたからそれを感じられるようになった。

そして、「無意識の言語」でアニメーション映画を作った駿監督はスゴイ。

 

おもしろかったなあーー。

 

 

 

 

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