ウエストが太くなるまでの長い長~い…いきさつ | 西本朱希オフィシャルブログ「朱鬼」Powered by Ameba

ウエストが太くなるまでの長い長~い…いきさつ

うぅ~ん・・


ウエストの事を書いたら


「ウエストの細い私は才能が無い。

ボディビルは自分には向いていない。」


的に受け取った人もいる・・の?

かもしれないけれど・・


(ブログって難しいよね・・

もう書くのやめようかな・・)



私が何年かけて

このウエストを作ったと思ってんだむかっ


・・・と



それって、それこそ


1、2年トレーニングをかじった程度でしかない人が


数十年間かけて、

基本的なトレーニングを積み重ねながら

どうすれば筋肉は大きくなるのかを思考錯誤し続けて


怪我だって何度も繰り返し、

何度も挫折を繰り返しながら


その中で


結果を出してきた人に向かって



「私がきちんとした正しいトレーニング方法を

あなたに教えてあげますよ」・・と言うのと


似たような思考なんじゃない?


と、

・・・私は思うんですけれどもね。。汗



私って、中学生の時に

朝刊の新聞配達

アルバイトでやってて

(370部も配ってたんですよぉ~チョキ


・・それもキツイ団地を担当していて

ひたすら階段の登り下りを繰り返してたんですが



そのせいで、


まだ思春期で

“細くてモデルさんみたいな身体”

に憧れていた乙女の時期に


脚がみるみる成長してしまって


(今も残る内側広筋の肉割れの跡は

トレーニングでできたわけじゃなくて、

その時出来たものなのだ)


それが恥ずかしくて・・・ガ~ン


脚を細くしたくて・・・涙


変なダイエットをしてしまったこともあってダイエット



21歳の時、

空手を始めた時期の私って


体重が52kg程度・・


ホネホネのガリガリの


本当に本当~に貧弱な

痩せっぽっち体型だったわけなのですが魚の骨



そんな身体だったせいで


昇級して(白帯から黄帯になって)、

はじめて


稽古の最後に毎回行われる


憧れのスパーリングに

参加させてもらえた時に


(相手はみんな男性で

指導員以外はほぼ全員

私を男性と思っていたんだと思うのですが)



順繰りに相手が変わって


ガタイの良い黒帯の先輩

(元々柔道をやっていた先輩だったらしい)


と当たって・・次の瞬間


スコン・・


と思い切り倒されて


(「スパーリング」と言っても、

何をすればいいのかさえまだ分からずに

モジモジしている

痩せっぽっちの女みたいな相手に

その人は業を煮やしたんだと思いますが)



あまりに筋肉がなく痩せていたから

腰を怪我してしまい


そのあと1か月位、

基本稽古にも参加できなくなったことがあって。。



指導員の先輩には


「やっぱり女の子は

スパーリングに参加させちゃいけないのかな?」

って言われてしまいしょぼん


(私が茶帯まで成長したころには

その先輩は、

他の男性に対するのと同じように

私もボコボコにしてくれるようになりましたがあはは…




・・・私が

ウエイトトレーニングを始めて、必死で食べて

体重増やし始めたのは


その時から・・・なんですよね。。


とにかく

大きく、強くなりたかった。!



それから25年間


基本のデッドリフトを引き

スクワットをやっていれば


それこそ、腰骨も浮き出て見えるくらいの

60cmにも満たなかったウエストは


別に脂肪がさほど付いていなくたって

75cmの身体になっちゃうもんなのです。



身体を変えようと

ガッチリトレーニングをやり込む前の段階で


「私には素質がない・・」

とか何とか


言わないでほしいなぁ・・・汗




なんだかね・・


私のウエストが太くなっていく経緯を追って


昔~昔のことから想い出に浸っていたら



それを書き留めておきたくなって

書いちゃった。。


実はただ、それだけの事なんですが。



ブログ読んで、


あぁでもないこうでもない・・と


私の思うところと違ったところまで

考えられると


ブログの更新ができなくなるから



「へぇ~」程度に読んでもらえたら

ありがたいものです。。あせる