50代になってやってきた
人生の危機!
アルコール問題を抱える旦那
不登校の中3息子
そんな中での家業閉鎖
この状況を
"わたしの人生 ネタ満載" と捉え
人生好転に繋げようと挑む
夏葉 あきの です。
50歳を超えてから、
自分が想い描く 自由で豊かな人生 を手に入れるまでの記録として、
人生が好転していく様子を綴っていきます。
現在進行中
かつてのわたしは、
子どもは親がコントロールしてどうにでもなると思っていました。いま考えるとかなりこわい
子どもの進路についても、
なんとしても我が子を世間体のいい学校に入れなくては
あそこに入れたら親戚の間でもママ友の間でも優越感を感じていられる…
思いっきり、こちらの都合で勝手に決め、
我が子を自分の思うようにコントロールしようとしていました。
子どもの進路ひとつにしても、
わたしが頑張って意地で(も)そうさせる!
嫁の立場のため、
自分の意地のため、
世間体のために!
子ども自身に合った…などより、
勝手に子どもの進路を、
そんな、
しょうもない 基準で決めようとしていたのです。
子どもをコントロール出来てこそ
素晴らしい母親なのだ…
とさえも思っていました。
な・な・なんてサイテーな母親…
よくも、
長男次男は逃げきってくれた。
彼らは、そんな母親の思い通りになんて…
ならなかった。
当時は思い通りにならないと怒り心頭でしたが…
(当時のわたし からの→ いま)
彼らにはすぐにでも会って、
“よくわたしの思い通りにならなかったで賞 ”をあげてハグしたい気持ちだ。
嫁の立場や世間体、人の目を気にして行動する母親。
わたし自身、そんな環境の中に埋もれてしまっていながらも、
なんかおかしい…と漠然とは感じていたのだと思います。
だって
そのしょうもない 理由で得られた事もちょっとはあったけれど、
必死だったわりには、
手に入れて満たされたぁ~感は…
ぜんぜんなかったから。
(本当に自分が手に入れたいものではないからね…と今では分かります)
その頃のわたし、
ぜんぜん
自分を生きていなかった…し、
ぜんぜん
幸せじゃなかった…
うわべではニコニコしているけれど、いつも周りは敵のような感じ。
そういえば、ある整骨院に始めて行った時に、言われた事があります。
「人に対して戦闘的な感じですね…」
は?
どんな流れでそんな話しになったのかは忘れたが、初対面の客に対して失礼だ…と不機嫌なまま帰ったのを記憶しています。
その頃のわたし、
よっぽどだったんだろうな…
ハイそのとおり。
わたしは知らず知らずのうちに、
世間体・いい嫁 “鎧” を身に着け、
そういう無理のある自分を、
戦闘モードで必死に守っていたのだと思うのです。
そんな…
そんな…
ちっとも幸せじゃない母親を見て育った三男くん。
兄弟の中で、いちばん繊細で優しい三男くん。
そして田舎の学校で鎧を脱いだ自然体の母親 も垣間みたけど、戻ってからまた自分を封じ込めた母親を見ている三男くん。
ちっとも楽しそうじゃない。
まわりばかり気にして自分を生きていない。
幸せじゃない母…
そして…
人気者で誰からも慕われていた三男くんは、
中2の2学期から突然…
学校に行けなくなりました…