新聞コラムに以下の記事がありました。
引用します。
(ブルームバーグ):米連邦公開市場委員会(FOMC)当局者は金融政策の決定を最善の証左と論理を用いて伝えられるよう心を砕く。
しかし、その熱意をコミュニケーションのやり方にも適用すれば、大いに効果が上がるかもしれない。
ミネアポリス連銀で総裁を務めていた当時、私は高校生や大学生のインターンにこのような質問をしてみたことがある。
子供だったころ、両親に「あした雨が降ればピクニックに行くのはよそう」と言われたとする。翌朝、空が晴れていたらどう考えるか。インターンは全員、ピクニックに行くだろうと回答した。
インターンたちが導いた結論は両親の言葉との論理的な整合性という点で、まったく自然な帰結だ。しかし論理的に必然なものではない。
両親は単に、雨が降った場合に起こる状況を伝達したに過ぎない。論理という点だけで言えば、翌日が晴れとなっても両親はピクニックに行かないと決める権利がある。
ここで子供たちの解釈との間に生じた溝は、ピクニックが中止になって子供たちは悲しみの涙を流したであろうことを意味する。
いったい、これと金融政策にどのような関連性があるのか。実例に基づいて考えてみよう。
フェデラルファンド(FF)金利誘導目標が事実上のゼロにあった2012年12月、FOMCは「FF金利のこの異例な低水準のレンジは少なくとも、失業率が6.5%を上回る限り適切になると現在想定している」との声明(ここでの論点とは関係ないインフレ率についての表記は割愛した)を発表した。
先ほどの両親と同様、FOMCは失業率が6.5%を上回るという、可能性のある前提の一つに基づいて起こる将来について述べた。
一方で、失業率が6.5%を割り込んだらとる行動についてはまったく言及しておらず、柔軟性を残す方を好んだ(当時のバーナンキFRB議長の記者会見記録を参照)。
それなのにエコノミストやトレーダーらは先ほどの子供たちのように、ずっと具体的な結論を自ら導き出した。つまり、失業率が6.5%を下回ればFOMCは利上げを開始すると。
もっとも、この結論はFOMCの限られた意思伝達と整合する。しかし論理的に考えれば、必然ではない。
隠喩的なとらえ方ではあるが、送り手と受け手の間にある距離が意味するのは、失業率が6.5%を割り込んでもFOMCが金利を引き上げなかったときに失望の涙が流されることを意味する。
FOMC声明を信頼してはならない最大の理由として引き合いに出されるエピソードだ。
ピクニックの例から分かるのは、「6.5%」を用いた意思伝達がどのような反応を引き起こすかは完全に予測可能だったということだ。
なのにマクロ経済学、ひいては経済学全般において、こうした類いの慣行に関する分析は皆無に等しい。
むしろ認知科学や心理学、通信科学の方がずっと役に立つ。
今振り返れば、政策当局者もそうした研究をもっと理解していれば有益だっただろう。
認知科学の分野でよく研究されたフレームワークとして、「メンタルモデル」と呼ばれるものがある。
つまり、単純化されたモデルを用いて物事がこうなると推論し、それに基づいて事実を認識するアプローチだ。
このアプローチでは前提となっていたものが事実と整合しなかった場合、その推論に矛盾が生じる。これこそまさに、先の2件の例で起きた混乱に当てはまる。
12年12月のFOMCに対する反応から私が得た教訓とは、FOMCはその計画と行動についての意思を伝達するやり方をもっと注意深く考える必要があるということだ。
そのためには、知性の範囲を広げることが必要となるだろう。
(ナラヤナ・コチャラコタ、前ミネアポリス連銀総裁)

