お読みいただきありがとうございます😊
整心屋アロマノヒト木村亜紀です🍀


世界は優しいところだって思えてる人が
どのくらいいるんだろうか?

自分のやりたい事をやる事は
わがままな事でいけない事だと
自分をぎゅうぎゅうと
周りが求める自分の枠に詰め込んでる人が
どのくらいいるんだろうか?

人にはずっと
「もっと自分に優しくしてね」
「ちゃんとできなくてもいいんだよ」
と言っていながら
自分にはムチを打ってた私が
無意識レベルのムチ打ちをやめてから
私に優しさがなだれ込んできた

ちゃんと私の周りに優しさはあったのに
私が受け取ってなかっただけだった

「どうせ私はダメなんでしょ」
「どうせ私は仲間外れなんでしょ」

と拗ねてた

本当に今の私が私のままで
いいんだって思えてから
私の中ではまだ疑ってることを
試練じゃなく
優しさで教えてもらえる出会いや出来事が
増えた

子供達から教えてもらうことが
特に多いなぁと思います

今日みつけたブログがこちら
子供達が通っていた幼稚園を思い出した

説明会に行った日に号泣した

「こんな風に育てたいと思ってた」

それが通えるところにあったんだ❣️
という喜びだった


理論とか情報には疎くて
直感だけで生きてた私には
幼稚園の教育論の説明はできないけど、子供も私も一緒に育ててもらえた

"人を育てる"ということを
教えてもらった

今は子供達が私をあそこに連れて行ってくれたんだなぁと感謝が湧いてくる

幼稚園児だけじゃなく
小学生も
中学生も
高校生も
学生も
大人も

やること、やるべきことが変わっても
根っこは同じ

自分は大丈夫だって信じて
自分と繋がっていく人も大丈夫だって
信じていられたらいい

根っこが「自分はダメ」では
どんなに色んな事ができても
「ま、どうせダメだから」
と何も育たない


何がどうでも


この世に生まれてきた力がある人は
それだけでも既に素晴らしい


文字にすると薄っぺらい
どこにでも転がってる言葉になっちゃうけど


私は心の底から思ってる

人も世界も優しいのに

何故こんなに苦しんでる人が多いんだろう



でも


今が苦しくても大丈夫

苦しんだ分

人は何かを手にしてる

その"何か"は
周りの人には分からないかもしれない
周りの人からは可哀想に見えたとしても

その"何か"が何かを見るのは自分

その何かを活かすか捨てるかを決めるのも自分



私は長年の苦しみのおかげで
人の苦しみに気づける私になった
小さな優しさに気づける私になった


繊細な私が死ぬほど苦しんでも
まだ生きてるからできることがある


死はいつもそばにあって

だからこそ"生きる"は尊い

"生きてるだけで丸儲け"

さんまさんはいい事言うなぁ✨


今、絶望してる人も

「もしかしたら優しいのかもしれない」

という疑いながらでいいから
"優しい"をキャッチする視点を
持ってみて欲しい


あとはただ"生活"する

"毎日生を活かしてる私ってすごいじゃん"

と、自画自賛して良いこと❣️

すごい結果を出すことよりも
何かを続けることよりも

今、居ることがすごいこと


まだ生きてる

どうせ生きてるなら
自分らしく生きよう


本当のあなたはどんな風に生きたいの?