こんばんは。
なかのあきです。



今週のはじめに
我が家の第3子せいちゃんの通う園で
クラス懇談会がありました。

年長児の保護者にとっては、
3年間の園生活、締めくくりの懇談会。
(クラスは縦割りなので、年中児さん、年少児さんもいらっしゃいます)

担任の先生や園長先生が
子どもの成長について
お話してくださり、
年長児の保護者が、3年間の子どもの成長や、自分自身の成長について、分かち合いをします。


何を話そうかな?と考えてみたけど、
頭の中に何も浮かびません…ニヤニヤ

私にとって、特にせいちゃんは、
元気でいてくれる
それだけでうれしいのです。
出産後、呼吸をしなかった(らしい。私は随分後になって知りました)から、
生きていてくれるだけで、うれしいニコ


そんな中、私のお友達でもあるお母さんが
「なかのせいちゃんのお母さんが、以前に話されたことが、心に残っている」
と前置きをして、お話をしてくださいました。

「子どもの選びが、子どもの本当の選びではなく、保護者が喜ぶ選びをしてしまっていないか?」

私が、長い園での保護者生活の中で、
先生がたから、学んだことですが、
当の本人は、すっかり忘れていました。

それをこうして、大事に思い出して、
自分自身に問いかけていらっしゃったんだなぁと。
私は、そのことに感動していました。



子どもは、本当に保護者の顔色をよくみています。
一般的に一番近くにいる母親の、喜ぶ顔を見たいと思っています。

私は、第一子であるゆいの時には、特に
先回りをして、私が思う「正解」に導くような、問いかけや、問いかけ方をしていたと思います。


服の選びも、ご飯を選ぶ時でさえも。

私の都合に合わさせていたし、
ゆい自身も、私が喜ぶだろうと選択したことが多かっただろうと思います。


だから、ゆいは、今でも何かにつけ
「お母さん、これで大丈夫?」
と確認することが、よくあります。

けいちゃんや、せいちゃんに比べると
ダントツで多く確認してきます笑い泣き


もしかしたら、ゆいに対する子育ては、
失敗なのかもしれない。

けれど、気付いてからでも遅くはない。
いつからでも、そこに立ち戻り、
関係性をつくり直すことはできます。


子どもを信じて、
子どもの選びを信じる。
その選びの経験によって得られたものは、
その子の責任であり、財産でもあると思うのです。

これは、大げさなことではなくて、
例えば、雨が降りそうなお天気。

傘を持っていくor持っていかない

傘を持っていって、予想通り雨が降ってきて
あぁ、持ってきてよかったなと帰ってくる。

傘を持っていかずに、雨が降ってきて、
濡れて帰ってくる。

濡れて帰ってきて、嫌だなと本人が思ったなら、次は傘を持って行こうと思うかもしれない。
このくらいの雲だったら、持っていかなくてもいいのかも?と思うかもしれない。

自分で選んだ些細なことの繰り返しが
宝物だと思うのです。



私自身、もっと子どもを信じられる
母親でいよう。
自分のことも、信じようと改めて思いました。


※写真は、七五三の時のせいちゃん&けいちゃん
表情のコントラストよ!!笑