昨夜、帰宅した旦那さんが

「ねぇ、知ってる❓水泳の池江選手のこと」

昼間ほとんどTVを観ないので、
なんにも知らない私。

「白血病やって」

旦那さんのお父さんも、
数年前の、ちょうどこの時期に
体調を崩した。

お義母さんから、
「原爆病院の血液内科にいる」
と連絡が入った時には、
ただごとでは無いなと思った。

お義父さんは、就職・結婚で
広島に住んでいたので、
被曝はしていないけど、
適切な治療を受けられると
いうことで、原爆病院を紹介されたようで。
検査の結果、
白血病だと判明した。

お正月に会った時は、元気で、
子ども達と本気のトランプ
本気の凧づくりをしてくれて。

入院してしまったら、無菌室に入るので、
限られた家族しか
会いに行くこともできず、
私も、子ども達も、お見舞いに
行くことすらできなかった。

食べるものも、生もの、果物、納豆
は食べてはいけなかった。
感染の可能性があるから。

ただ、持ち込みを許されていたスマホで、
孫の写真を見るのが
楽しみだったみたい。
旦那さんが、面会に行っている時には
FaceTimeで話したりもした。

だから、抗がん剤治療が1クール終わって
退院した時には、
うちの子達を会わせたくて、
広島に行った。

抗がん剤の影響で、すっかり
痩せてしまっていたけど、
気力はしっかり持っていたし、
苦しかった治療のことも、
全く愚痴ることもなかった。
まだ小さかったせいちゃんと
楽しそうに遊んでいた。

「明日も遊びに来るね」と
ホテルに戻って、
翌朝ホテルを出ようと準備していたら、
電話がかかってきて、
「これから入院する」
と。

結局、この入院が最後の入院となり、
私たちとの再会は叶わなかった。
8ヶ月の闘病だった。

もう一度、うちの子達と
遊んでもらいたかった。
お義父さんも
「滋賀に行きたい」
とよく言っていたそうだ。

時々ふっと、娘が
「今おじいちゃんが通った」
と言うことがあって。

「会いに来てくれたんやね」
「今も見守ってくれてるんやね」
と話しています。

会いたい人には、会おう。
やりたいことは、今やろう。

そう、思います。

池江選手の回復を、
心からお祈りします。