今朝旦那さん度2人でテレビを観ていて、 
四国を旅する番組が流れました。

夫「四国って、四県とも行ったことある?

私「愛媛以外は行ったことあるよ」

夫「高知も行ったことあるんや」

私「受験で行ったからね」

多分、受験で高知に言ったという話は、
今までも何回かしてるはずだけど、
毎回新鮮な感じで尋ねてくれる旦那さん笑い泣き
覚えてないんかい‼️


私の実家は、決して裕福では無かったから、
中学生頃から、父には
「大学なんか行かんでええ」
と言われて育ちました。

でも、中学校の国語教師になりたいという夢を
抱いていたので、
進学することを決意しました。

でも、学費のために捻出できる額は
限られているので、
国公立の大学であることが条件。
もちろん、奨学金制度を利用する前提。

そこで、高校の先生と相談して、
国公立を受けられるだけ
受けました。
先生の提案で受験したのが、
高知の大学でした。

お金が無いから、受験には
父運転のもと、車に泊まり込んで向かいました。
家族にとっては、家族旅行(笑)
結局、不合格とはなりましたが、
高知という土地に行けたことは、
今でも印象深い思い出の一つになっています。


私の進学に反対しながらも、
サポートはできる限りしてくれた父。

父はお酒を飲むと、いつも以上にめんどくさくなります。
「これについてどう思う?」
みたいな会話、ほぼ酔狂(笑)みたいな
ことが常でした。
哲也という名の父は、
話すことも、哲学的で、
説明くさいというか…

でもね、今思うと、これが大事だったなぁと思います。

まず、なぜ勉強するのか。
私の実家は、人口3000人も満たない
過疎の村。
その中でも、街ではなく峠を一つ越えた
集落の中にあります。

田舎の子は、勉強することでしか
褒めてもらうことが無いから、
自分の評価を求めて、
勉強している節がある。

と何かの話題で、父が言ったことがあります。


その時も、なるほどなぁと思いました。

家の手伝いをしても、して当たり前だから、
褒めてもらうことはなかったし、
遊んでいて褒められることは
もちろん無く。


そして、私の受験結果はというと…
希望していた四年制大学は、
全て不合格。

滑り止めで受けていた
公立の短大のみに合格。

中学教員免許二種は取れるけれど、
一種は取れないし、
一緒に取れるなら取りたかった
小学校教諭の免許は取れない。

何よりも、教育学部では無いし、
その短大学びたいことが無い
受験に失敗した…
という屈辱だけが頭を埋め尽くしていました。


そして、短大へ入学。
しばらくは、慣れない下宿生活や
学生生活に、
「なぜ私はこんなところにいるんだろう❓」
と、鬱々とした気持ちでいました。

キャンパスに咲く桜を見ても、切ないばかり。


でも、教育課程の授業を受けている中で、
先生が
「この短大は、受験に失敗しているから、
    遊びに短大に来ているような学生は
    少なく、学びに対する意識が高い」
というようなお話をされて、

あ、受験に失敗してるのは
私だけじゃないんだ‼️
と救われた気持ちになりました。


そして、ゼミを選択。
そのゼミ仲間と、放課後図書館で
勉強しているときに
「私、このゼミでこんなこと研究したいと
   思って入学したの」
という子が数人いて。


私にとっては、学ぶことなんて無いと思っていた
その短大で、
こんな勉強したいという志を持って
入学している学生。


私は、いつまで落ち込んでいるんだろう⁉️
短大生活のスタートラインにも
立てていない‼️
なんて恥ずかしいことなんだろう⁉️


この先生の話と、仲間との何気ない会話で
私は、やっと学ぶ気持ちを
取り戻したのです。


学びたいことは、変わったかもしれないけれど、
ここでしか学べないこともある。

まさに
「無い」
から
「ある」
ことに、目を向けられた瞬間でした。


父が言うように、
確かに評価のために勉強していた部分は
確かにあった。

でも、
今しかできないことをしよう‼️
と、シフトチェンジできたことは、
私にとって、人生において
大きな学びとなりました