7月1日は、私にとって、大切な日。
一つ年上の、兄の命日。
兄は、3歳の時に、水の事故で亡くなっている。
私が2歳の時。
記憶にはほとんど残っていなくて、物心ついた頃には、土葬された兄のお墓参りをしていた。
兄は、大雨の日に、新しく買ってもらった長靴を履き、新しく買ってもらった傘をさしていて、亡くなった。
兼業農家の私の実家は、稲作をしている。
なので、毎日田んぼの水加減の調整が必要で、大雨が降ったその日、母は、兄の昼寝した時間を見計らって、田んぼに向かった。
今日と同じ日曜日だったと思う。
父は、自治消防の慰安旅行で不在だった。
祖父も一緒に住んでいたが、病弱で、母のお世話が必要な状態だった。
私も、きっとお昼寝をしていたんだろう。
誰も、川に落ちたその瞬間を見ていないので、憶測に過ぎないけれど、
お昼寝から目が覚めて、母が居ないことに気づいた兄は、母を探しに、大雨の中、新品の長靴を履き、傘をさして、外に出たのだと思う。
家の前は、道をはさんで、川が流れている。
風もあったので、傘があおられて、川に転落したのだと考えられる。
川に流されていることに気づいた近所の人が、助けようとしたけど、濁流で無理だったそうだ。
そうして、下流まで4キロほど流されて、兄は発見された。
母は、どれだけ悔やんだだろう。
自分を責めただろう。
父は、ずっと兄の産まれてきた意味を考えていたようだ。
短い生涯なら、産まれてこなくてもよかったんじゃないかと。
そんな思いを聞いて育ったから、兄の死について、今まで人に話すことも、避けてきていた。
夏の水の事故のニュースは、本当につらくて、泣いてしまう。
毎年、命日には、よく雨が降って、それも、その日を思い起こしてしまうから、つらかった。
でも、いろんなことがあって、少しずつ、兄の死について、話せるようになって。
やっと、兄の死を受け入れられた気がする。
40年近く、時間がかかった。
今日は、晴れた☀️
家族でBBQイベントに参加しながら、兄の冥福を祈ることができた。
毎日、兄の分まで、大切に生きようという気持ちは変わらないけど、恐れていてばかりでは、何もできないばかりか、自分を苦しめるということに、気づくことができた、この一年。