折り合いとバランス。ー過食を続ける30000日ー -3ページ目

折り合いとバランス。ー過食を続ける30000日ー

死にそうになる恋をしたかった。
失ったことで、愛おしい、を知った。
死んだ時、迎えにきてくれるのは、あなたがいい。

ひかりにはそろそろ限界がきていた。

 

旦那と子どもたちが実家から戻って来て、もう1か月になろうとしている。

本当は学校が始まる予定だが、新型ウィルスの蔓延で、自宅待機を言い渡されている。

つまり、家族全員が毎日家にいるということだ。

 

しかも、ちょうど1か月前から、執筆の仕事を始めた。

彼女は執筆自体の経験はあるが、クライアントの要求が厳しく、希望する書式と構成に基づいて書くことにかなりプレッシャーを感じていた。

そして、締め切りは3日に1度。

慣れない作業ということもあり、クライアントから何度も書き直しを命じられている。

 

毎日何かに追い立てられるような、責められているような日々を送っていた。

そのうえ、子どもたちが家にいるから、食事の準備や洗濯・掃除など、ひとりですごしていた時とくらべ、負担がかなり重い。

 

「始めたばかりなんだから、書き直しなんて当たり前」と、気楽に構えられたらどんなに楽なんだろうか、と彼女は考える。

子どもたちのことも、「いちいち勉強を監視するようしなくても、多少サボろうが、要所要所を押さえれば大丈夫」と分かっているのに、どうしても完璧に管理しないとという焦りのような気持ちがある。

そのことも彼女はちゃんと理解している。

 

分かっているのに感情がコントロールできない。

彼女は追いつめられることが分かっていながら、うまく対処できないのだ。

 

 

行き場のない焦りや完璧にできない罪悪感が、彼女を過食に走らせる。

ついに金曜日の夜、過食が始まり、半引きこもり状態になった。

 

子どもたちや旦那には「体調が悪い」と告げる。

仕事先にも「体調が悪いのでしばらく休ませてほしい」とメールする。

その瞬間まで、彼女の心は罪悪感で押しつぶされそうになる。

でも、周囲にすべてを放棄すると告げた瞬間から、彼女は何もかもを忘れて過食を始める。

 

さっきまで、罪悪感でいっぱいだった気持ちがうそみたいに薄れていき、過食をできることへの安心感が生まれる。

過食をしている間は何もかもを忘れることができるからだ。

 

旦那が彼女の過食に気づいているかどうかは不明だ。

でも結婚してここ10年以上になる。

彼女が何かを抱えているか感づいているか、または引きこもる癖があるとの認識なのだろう。

それでも彼が何も言わないのは、ひかりへの愛情ではなく、ひかりがいると何かと便利だからだ。

 

彼は仕事が大好きで、自分が大好きで、子どもたちが大好きだ。

起業したときも、起業たものの思うほどの収入がないときも、ひかりは何も言わなかった。

彼が夜遅く帰って来ても、出張だと数日家を空けても何も言ったことがない。

 

普通の奥さんだったら、きっと「どこへいくの?」「何時に帰ってくるの?」「起業なんて大丈夫なの?」と小言のひとつでも言うんだろう。

彼にとって、彼女は子どもの面倒をそれなりに見ているし、口うるさくないから、多少の引きこもりくらいは許容範囲なのだ。

 

また、ひかりもそうだった。

旦那が浮気していることも察していた。

でも不思議と苛立ちや不安や怒りなんていう感情は生まれない。

過食のことを問い詰められなければ、それだけでいいのだ。

 

過食はバレたくない。

それだけを願う彼女は、旦那や子どもたちの目を盗んで、キッチンからパンや缶詰、インスタントラーメン、お菓子などを山のように抱えて部屋に持ち込む。

みんなが寝静まった夜中にはこっそり米を炊く。

 

このモードになると、彼女は数日間は普通の生活に復帰できない。

過食して、パソコンで動画を見て、寝て・・・の繰り返しだ。

 

家族のことはまだいい。

執筆の仕事は、彼女がひとりで家にいた頃、「ちゃんとがんばろう」と思ってようやく見つけた在宅の仕事だった。

いくつもの会社に履歴書を送り、その中で返事をもらえた会社で、ウェブ面接の後に採用された。

やりたかった仕事でもある。

家庭だって裕福なわけじゃなく、正直、経済的にキツい生活だ。

しかし、自らの手で仕事のチャンスを手放したのだった。

 

ひかりは自分を見失っているわけじゃない。

むしろ自分をちゃんと分析し、行動の結果まで理解している。

なぜなら、もう25年以上、同じことを繰り返しているからだ。

 

「これからはちゃんとする」と決意し、いくつも面接を受け、ようやく採用された仕事でも、過食が続いて出勤できなくなると、あっさり辞めてきた。

いや、あっさりでは決してないのだが、追い込まれるとそれしか方法がなかった。

経済的に困ることも分かっているのに、それでも、出勤ができないのだった。

 

何度転職してきたことか。

何度退職してきたことか。

 

彼女は毎回、同じことを思い、毎回「明日からちゃんとする」と決めてきた。

そして毎回、自分を裏切った。

 

1日60%の完成度で毎日続けてゆくほうがいいと知っているのに、1日100%の完成度を求め、結果的に追い詰められ、過食をし1日0%が数日続く。

これがいいわけないことを、彼女は誰よりも分かっている。

 

 

ひかりの心にはぽっかりとした穴がずっとある。

 

若い頃はその穴を寂しく感じて、それを埋めたくて、誘われるままに男の子たちと遊んでいた。

スケジュールが空白になるのが怖かった。

びっしり書き込まれたスケジュール帳の文字が心の穴を埋められるんだろうと思っていた。

 

毎年年末になるとスケジュール帳を買い替え、書き込んできた彼女には、ようやく分かったことがある。

「心の穴は一生埋まらない」と。

 

でも、時々、彼女はふと思う。

もし、彼が生きていたなら、この穴は埋まったのかなと。

 

でも、彼女は同時に思う。

もし、彼が生きていても、この穴は埋まらないかもしれないと。

 

埋まらない寂しさを、彼なら埋めてくれただろうと言い訳する。

彼はもういないから、そういう風に期待するフリができる。

だって、どんなに期待しても、「寂しさが埋まらない」という答えは決して出ないから。

 

でも、今、彼女は思う。

「もしかしたら誰もが心に穴を抱えているのかも・・・。それに気づく人もいれば気がつかない人もいる。

それを埋められる人もいれば、埋められない人もいる」と。

 

 

過食のきっかけなんてささいなことだ。

彼女の場合はきっと「誰かと一緒にいること」なのかもしれない。

その“誰か”には、自分の子どもまで含まれている。

 

彼女は決して子どもを愛していないわけじゃない。

しかし、一緒にいることに対し、体が拒否反応を示してしまうのだろう。

子どもを愛しているというより、むしろ産んだ責任感から育てなきゃ感じているように見える。

 

産んだ責任。

彼らが社会で普通に生きてゆけるよう育てなくては、という責任。

彼女は何事に対しても、“責任”が優先しているのかもしれない。

「やりたいこと」「好きなこと」「愛したいこと」よりも、「責任」を優先させてしまう。

ひかりにとっての子育てはまさに“責任”だと言わざるを得ない。

 

「責任感が強い人こそ、うつ病になりやすい」

彼女はこの言い回しを、まるで自分が許されているような気になるから嫌っている。

 

社会や誰かを支えながら生きている人たちにとっては、責任を放棄した人は責められるべき存在だというのが彼女の認識だ。

なぜなら、責任感をもって生きているつもりでも、最終的にすべての責任を自分勝手に放棄して、過食という自分にとって楽になれる行動に走るから・・・。

 

 

彼女がすべての責任を放棄し、過食を始めてから、もう5日目になろうとしている。