すべては私でできている。
こんには
永田明希です。
★じゃあ、私はどうすればいいの?
起こった出来事で
反射的に
反応していることを
丁寧に観察してみる!
よく「イライラ」や「怒り」がわいたら
6秒数えましょう!
アドレナリンの分泌のピークは6秒
なんてことをいったりしますが…
身体の反射的な反応
身体にグッと力が入る(固くなる)
鼓動がドクドクする
顔や体がカッと急に熱くなる
手先足先が一気に冷える
気分が悪くなる など
心の反射的な反応
苛立ち、怒り(私は悪くない=正当化)
諦め、我慢(自己犠牲)
など
これらの反射的な反応
そのときに出てきた言葉
そのとき心の中にあった感情 を
まずは
紙(ノートなど)に書き出してみましょう。
どんどん書き出す
なんなら書きなぐる
そのときの感情に合わせるかにように
汚い言葉
汚い文字
ぐちゃぐちゃ
力入りすぎてビリビリ
紙に書き出すとなると
スラスラ出てこないな〜という方には
もうひとつ
オススメの方法があります。
スマホにあるアプリの
メモやLINEの中に
吐き出せる場所を作るのです!
そこで思い切り
ツラツラと吐き出しまくります。
ツラツラ吐き出しまくるには
マイク機能を使って
声に出して言う言葉を
文字変換してもらうのです!
一気に出てきますよ。
ペラペラ出てきて
ツラツラ文字になります。
あとはそれを
自分がわかりやすく編集すればいいです。
残るかたちで
消えないものとして
出して
自分に晒す。
自分が心の中でつぶやいたこと
声に出して言ったこと
それらの感情を
自分自身に見えるようにする!
ここで
ずいぶん
視点が変わります。
自分から出てきた感情を
もうひとりの私が
それらの言葉は感情は
一体どういうことなのか
よ〜く感じてみる。
それは
その出来事のことだけなのか、
それとも
私の生きている世界は
そうとしかとれない現実ばかりなのか、
自分の感情や思考を
言葉で
この世界(現実・今・顕在意識)に
吐き出すけれど
それはかたちとして残らない。
残らないから
なかったことにしたり
後付けで自分の都合にいいように
認知を歪めたり
自分自身を
はぐらかし、誤魔化す。
だけど
心の奥(潜在意識)では
なかったことにはならない。
そのときの
身体の反応は
リアルに刻み込まれ
なにか出来事が
心の琴線にふれた瞬間
体感となって蘇る。
現実で
はぐらかし、誤魔化すほど
心の奥では
忘れまい、誤魔化されまい、と
繰り返し刻み込んでいく。
傷つけられないように
身体と心を固くして守りに入る。
この自分自身の
内側で起こっていることに
ちゃんと気づく。
そして自分自身に
向き合って
反射的に固くなることを
緩めていく練習をしていく。
それがまずは
第一歩だと思います。
こんにちは
永田明希です。
おのころ心平さんの
「どこでもドア」イメージワーク
朝イチで目に飛び込んできたので
やってみましたー。
私が、望んでいる景色。
目の前に、どこでもドアが現れたら…
そのドアの向こう側は?
そのドアを開けると
亡くなった父が笑って立ってた。
そして私が一番望んだことは
父と家族と
たくさん食べ物が並んでいる食卓を囲んで
食事をすることだった。
明るいオープンな場所
海かな〜
気持ちい風が吹いてる
そんなところで
家族そろってで食事をすることが
私にとって
一番幸せを感じる瞬間のようだ。
もう一度また父とご飯食べたい!
大食漢の父はたくさんたくさん注文する。
どんどんどんどんおいしい食事が運ばれて
どんどんどんどん食べていく。
私が食べきれなくても
父や弟が一緒だから安心。
好きなものを好きなだけ、
お腹いっぱいになったらもう
食べなくてもいいの。
私が食べ残しても後は
父と弟に任せておけば大丈夫。
なんて幸せな感覚
これが私の
豊かさの象徴
愛の象徴
満たされる象徴
安心感そのものだ。
父が亡くなり
一人暮らしになった母とは
なんやかんやと毎週末
一緒に食べたり飲んだり
おしゃべりしたりして過ごしている。
ん?
ああ、そういうことか…
お義母さんとも、、、ね。
今回の魚座満月の気づきは
きっとこれだったんだ。
気づきを循環させましょう♡
「どこでもドア」イメージワーク
面白かったし
ドアの向こうで父とも会えた!感謝!
こんにちは
永田明希です。
同じ相手(前回のお話だとお義母さん)と
なんどもイヤな気分になる出来事を
繰り返してしまいパターン化してしまう
この状態、
どうしたら
変えられるのでしょうか
この状態を
変えるには、自分自身が
変化していくしかないのですよ
*結局そうなのね…
「周りは変えられない、変わるのは自分」
そんなこと、
なんども読んだし勉強もしたし
知ってる
わかってる
という方々もたくさんいらっしゃると思います。
そんな方は復習程度にどうぞ
どんなに
自分が正しい!不条理だ!と思える
出来事だったとしても
正面切って
あなたの考えはおかしい!
もう少し相手のことを考えて!
私は正しい!正当だ
と、やっていたら
いつも戦っているようなもので
心身ともに
ズタボロになってしまいます。
かといって、
自分の心や感情をなかったことにして
本心を無視し
私が我慢すればいい、と
相手に対していい顔をしてみせたり
忙しそうにしながらも
謙って相手を立てたり
自己犠牲を繰り返していては
疲弊しますし
自分自身
ギリギリの心持ちでいたりしますから
日常の些細なことで
拗ねたり、いじけて見せたり
周りの誰か(家族や身近な人)に
*ここで収まりきれない
もしくはここに出せないときには
社会でまじわる他者や他事に出たりします
察してよ!
これくらい気づいてよ!
当たり前のことだよね?
私、おかしくないよね?
(こちらでは自分を正当化する)
と、そもそもの
お義母さんとの出来事とは関係ないところで
感情的になったり
情緒不安定になったりします。
自分を正当化したり自己犠牲したり
*正当化(私はわるくない) = 他人責め
↓ ↑
自己卑下(私がわるい) = 自分責め
自己犠牲(私が我慢すれば)
真反対のようですがどちらも同じです。
自分は全くわるくないし
おかしいのは相手だけど
↓ ↑
私が我慢して
私がやってあげて
相手を立ててあげる
他に誰もやらないんだったら
仕方ない、私がやらなきゃ
周りのみんなにも感謝されるかな
やりたくないけど
断れないな・・・
断れない私・・・ダメな私
はっきり意思表示できない私
こんな私だから
イヤな目に合うのかな
これを同じ相手と何度も
それだけでなく
いろんな出来事で
いろんな相手と
ぐるぐるいつもやっているのです。
つまり
ぐるぐるといつもやっているのは
自分自身で
周りは関係ないのです。
じゃあ、全部
私がわるいの?
私が間違っているの?
となるかもしれませんが
そういう話ではありません。
こういところがまた
ぐるぐるしてるということです。
ならば、わかった
うん、わかったとして…
じゃ私はどうすればいいの?
ってなりますよね。
なかなかお話が進みませんが、
つぎにつづきます

