ヨガとメキシコに導かれて
私の8年半に渡る、約60カ国のWorld Jouney記、
いよいよ、ラテンアメリカ編に入りまーす。
最後の3年以上は、ラテンアメリカ圏。
メキシコ~パタゴニア最南端へ旅をした。
とはいえ、"定住型ノマド”なので、
縁ある地で、暮らしたり、働いたり、勉強したり、ボランティアしたり・・で、
スローペースの割に、行ってない国多数😅
(国名はテーマ一覧をご参照ください。)
今回も長いですが、お付き合いください(^^
ヨガとメキシコに導かれて
ニュージーランドからメキシコへ飛んだとき、
面白い流れにいると実感した。
乗り継ぎの、LA空港、イミグレのお兄さんに、
「一人でメキシコなんて、怖くないの!?」と目をまんまるくされたが、
Air Alaska乗務員には、
メキシコシティでの想い出を嬉しそうに語ってもらったり、
早くも勝手に、「歓迎」を感じていた。
そして確かに、縁と導きがあった、と今でも思う。
私の旅の、第一カ国目フィジーにいた時のこと、
体験がてら、ヨガクラスに出席した。
講師は、インド政府から派遣されていたPrasad ji(プラサ氏。ジーは敬称)。
当時まだヨガのことはよく分からなかったが、
クラスに通うようになり、
彼の家を訪れたり、出かけたりして仲良くなった。
それから約2年後、私が南インドを訪れた際には、
既に帰国していた彼と再会することができた。
その後だった。
私がインドですっかり、ヨガ・瞑想の世界へ魅せられたのは。
インドのアシュラムめぐりをし、
オーストラリアに戻った際は、ヨガ・ティーチャー・トレーニング・コースも受けた。
そして、期せずして私がメキシコへ向かうことになった時、
彼も何と、インドからメキシコに派遣されており、メキシコ・シティでヨガを教えていたのだ!
①当時約5年前のフィジーでの出会い
②そこから3年弱経ってのインドでの再会
③今回のメキシコでの3度目の再再会
ロング・ジャーニー中、
全然違う国で3回も出会うって、
なかなか凄い・・。
そしてメキシコ入国直前も、
乗り継ぎのLA空港で、面白いことがあった。
・・・・・・・・・・・
便の待ち時間、
居合わせたフレンドリーな男性は、
何とフィジアン・インド人だった!
(フィジーは、人口の半分近くがインド系。
各国でインド人に出会うことはあっても、
フィジアン・インド人にはなかなか出会わない。)
私が、
「フィジーに3カ月いたことあるよ。
フィジアン・インド人の家を訪れては、
インド料理をご馳走になっていた」
と伝えると、嬉しそうに鞄から、
叔母さまお手製の、ダル・カレー入りロティを取り出し、分けてくれた。
一口食べた瞬間、蘇ってきたフィジーの懐かしい空気。
一カ国目=原点を思い出させてもらい、
改めて、縁の不思議さを思った。
ヨガが繋ぐ縁が、
メキシコに導いてくれているんだなぁ、と。
何より、原点からの友人が待っていてくれるなんて、とても嬉しいことだった。
「導かれよう。」
「エゴではなく、出会いを見つめ、身を委ねていこう。」
そう思った。
結果メキシコには、計1年3カ月ほど滞在することになり、
その大半を、Xalapaという地のヨガ・アシュラムで暮らすことになるのだった。
やっぱり線になっている・・。
霊的ガイドからのお導き
安心して迎えたのには、もうひとつ理由があった。
2回にわたるオーストラリア滞在で、霊視ができるヒーラーの恩人が毎回、
おろしてくれたお言葉があった。
「安心してメキシコにいらっしゃい」
私の当時のガイド(守護してくれていた存在)が、
そう私に伝えるようにと、何度か言いに来たという。
中性的な顔立ちの、美しいメキシコの男性だったそうだ。
そのころから、ずーっと心のどこかにあった国。
機内食を頂きながら、
国の情報などを見て心の準備をしていたら、
ワクワクが止まらなくなった。
ニヤニヤしながら、心の平安に下りていくと、
飛行機もあっという間にランディング。
さぁ、身も心も、グラウンディングしよう!
遂にメキシコ、アメリカ大陸に到着
一気に、ラテン空気に突入した空港にて、嬉しさと困惑が入り混じる。
機内に本を置いてきてしまい(私は忘れ物王)
空港スタッフに質問するが、既に英語が通じない💦
「No」だけは分かったが・・。
荷物受取所ではバックパックのカバーが無くなっていて、問い合わせても、やはり通じない。
あれ・・?
首都の空港ならもっと通じるかと思ってた💦💦
航空会社のカウンターで諸々問い合わせても、
「見つからないです」と即答。
道を聞いてもあいまい・・💦💦💦
こういう適当さ、仕事のできない感じ(失礼)、
何か久しぶりだなー・・。
かと思うと、イミグレのまじめそうな係員は、日本語ペラペラ(意表突いてくる)!
トイレでは、清掃のおばさまたちが、
「オラ、コモエスタ?」
(当時、唯一知ってたスペイン語)
フレンドリーにチップ請求の手を差し出してくる。
警備のおじさんたちは、笑顔満載で絡んでくるし
やはり陽気なノリなのねー!と嬉しくなる。
友を探して三千里・・
しかしここからが本番。
プラサ・ジーは
「到着時刻に、空港ゲートで待ってるよ!
ノー・プロブレム!」
と、迎えに来てくれることになっていた。
が。待てど探せど、見当たらない。
公衆電話を使うため、
(時代だなぁ・・いやいや私がアナログ・笑)
ATMで現金をおろそうとするが、
手数料30$との表記。
「30ドルは高すぎでしょ!?」
他のATMへ行くが、やっぱり30$。
うろうろした末、ようやく「ペソ」表記も$なのだと気がついたり・・(当時約240円)
ようやくテレカを買って何度か電話し、
遂にプラサ・ジーにつながるが、
「もう着いたの!?!?
えっと…友人が数分のうちに迎えに行くよ」。
やはりインド人の「ノー・プロブレム!」だった。
数分後、まだと思いつつ再Tel。
彼 「えっと、、、数分のうちに僕が行くよ。」
私 「数分っていかほど?」
彼 「30分くらい。」
・・・だよね・・・
インド気質 + ラテン時間か、
気長に待とう。
が...待てどくらせど現れず、再度Telすると、
「至急8番ゲートに来て!」
「至急」行ったが,再び待つこと数十分。
ようやく!!
車から降りてきたプラサ・ジーを発見!!!
2回目の再会から、約3年ぶりだったが、
ちっとも変わっていなかった!
黒い肌に白い歯を見せ、爽やかで健康的な笑顔、
むしろ若返ったように見えた!
いきなりシティの一等地
高級車を運転してきてくれたのは、
彼のヨガ生徒、ルペさん。
英語ペラペラな明るいマダムで、
彼女の家に、数泊させて頂けるとのこと。
到着したのは、メキシコシティ内でも、
大使館や高級ホテルが集まり、駐在員やお金持ちの暮らすポランコ地区。
その一等地で不動産会社を経営している彼女。
住まいも、中心地の5つ星ホテルのような高級マンション。
ドアマンに扉を開けてもらい、居間へ・・
トイレバス、TVなど完備の
ホテル風ゲストルームに通された。
メキシコに抱いていたイメージは、また別のものだったが、
いきなり上流階級の家からスタートすることになるとは。
お手伝いさんがメキシカンな朝食を用意してくださっている。
スクランブルエッグ&フリホーレス(豆)
これに、トルティーヤ、サルサソース、フルーツが加わる。
私の最初の、ヨガの師プラサ・ジー
政府から派遣され、2年周期で世界各国でヨガを教えていた彼、
この時点でメキシコには1年滞在していた。
「友人もコネクションもできたし、残りの任期を終えても、ここで暮らそうと思っている。
自分でヨガを教えていくよ」
インドのご両親は他界され、国も文化もそれほど恋しくないという。
人生の転換期を聞き、今やこなれたスペイン語を話す彼を見るのは、驚きの連続だった。
前回は南インドの鉄道駅で、郷土料理をご馳走になっていたのに・・。
数カ国を見た末、祖国以外に、
真の故郷、定住の地を見つけたんだね。
ルぺとの間の信頼関係も見てとれ、何だかジーンとくる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
それにしても、メキシコシティに着くなり、
いきなり感じたことは、
「ただいま!」
フィジー、インドと見えない導線に運ばれて、
初めて来たはずなのに、
何ともほっとする、懐かしさがあった。
しつこいけど、
まさか1年3ヶ月滞在するとは、
思わなかったが(笑)。
導きに安心感を感じるとき、
それは、私たちのすすむ道
・・・・・・・・・・・・・・・
最後までお読みいただき、有難うございました。
見えない繋がりに、感謝いたします。
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