よくよく考えてみると、自分のライブの動画は毎回のように残しているのですが、
スチール(静止画)の写真というのは、実はほとんどなかったりします…

そんな貴重な一枚を、先日観に来ていただいたある方からご提供いただきました。

これ↓

Dicekey Akhanev Official Blog


これを観て気付いたこと…

何か、いつもより自分の椅子が高かった気がする。。

いや、他のライブの写真がないので、比較はできないんですけど。

椅子の高さは自分で調整しているので、それが高いということは、自分が心地よく感じる高さが変わって来ている、ということを意味するわけで。

たしかに、椅子は高い方が打鍵のときに腕の力が抜けて楽に弾ける気はします。

ただ、昔は僕こういうのに憧れてたんですけどね↓

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グレン・グールドのように、やたらと低い椅子で足組んで弾く的な。

今はこういうの遊びでもほとんどやりません。

疲れるし。

だいたいバッハとか最近弾いてないし。

まあ人は年とると楽したくなるもんなんでしょうかね(汗)
さきほどまで日曜の鈴ん小屋ライブのDVDをみていたのですが…

僕らのライブ前のBGM、これ↓でしたね…

ミズーリの空高く-チャーリー・ヘイデン-パット・メセニー

PAさん、もしかして僕のブログみていただいていたのでしょうか…
何せライブ直前のエントリーがパットの故郷訪問でしたので。。

さて、パットの故郷を訪ねたアメリカ中西部への旅、実はそれだけで終わりではありませんでした。

パットの相棒、キーボード奏者のライル・メイズの故郷、ウィスコンシン州ウォーソーキーです。

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パットの故郷、リーズサミットにもまして、本当に何もない街でした…

インターステイトのハイウェイ沿いに、ちょっとした商店街と、教会と住宅街があるだけの慎ましい街。
こんな田舎から、あんなに斬新で前衛的な音を作り出す音楽家が生まれるとは、少し意外な気もします。

ですが、ライルの音ってよく聴いてみると常に教会音楽の影響を感じるんですよね…
前衛のための前衛ではなく、あくまで自らを育んだ音たちと時代との邂逅の結果としての
斬新な音作り。

教会を中心としたこの田舎町は、ライルの音楽観に深い影響を与えているのでしょうね。
今夜の鈴ん小屋ライブ、みていただいた方々、ありがとうございました!
お客様の暖かい雰囲気のおかげでリラックスして演奏することができました。
鈴ん小屋のスタッフのみなさんも、いつもながら歌いやすい、弾きやすい環境を整えていただき、
感謝感謝です。

共演者の方々もみなさん、多彩、多才…
キュートなガールポップでなごませてくれた近藤花さん、
はるばる福岡から男の魂の叫びを届けてくれたbigmamaさん、
Sunny Side of the Street, All of Meといったジャズ名曲をユニークな日本語詞
でカバーされていたRoseさん、
心から楽しませていただきました。

さて、今回の演奏曲です。

1.坂のふもと
2.Ani-Rhythm
3.街の灯
4.Porque Pasan Los Dias(新曲)
5.入道雲

ということで、MCでもお約束しましたので、ここからは
新曲Porque Pasan Los Diasについて、歌詞と解説です。

これもMCで話しましたが、この曲は、今年の春アルゼンチンに旅した際、
イグアスの滝への道中で何度も鳴っていた、運転手のiPhoneの着信音から
インスパイアされて作りました。

着信音というのは…これですね↓



ただ、タクシーの中で僕の頭の中に鳴り始めたのは、このフレーズそのものではなく、
雰囲気は近いものの音楽的にはまったく異なる7拍子のリフでした。
この7拍子のリフをもとに大まかな構成をつくり、歌詞を乗せました。
それがこちらです↓

Porque pasan los días

you may say that compromise or
concession's always key to be here

or you may say that life'll be harsh
when you don't know how to get around the truth

a thousand miles along the sky but
still has miles to go on a quiet and open field

gone all too soon to say good-bye
but all too long to stay awake all the time


porque pasan los dias
heaven only knows how it's meant to be

porque pasan los dias

porque pasan los dias
seven seas will always be around
to wash you away back home again


you may say you can't take more
of all those crude and savage life all around
or you may feel your life stands still
when all those bits and pieces take up your time

just driving on through thickest woods
believing someday you will reach an open field
but knowing you will never reach or
you will never find a place to rest

porque pasan los dias
heaven only knows how it's meant to be

porque pasan los dias

porque pasan los dias
seven seas will always be around
to wash you away back home again


(訳)

妥協や譲歩がここにいるためには必要
そう君は言うかもしれない

真実をうまく避けられないと人生は過酷だ
そう君は言うかもしれない

空を何千マイルも飛んで来たけど
まだ何マイルも静かで広大な大地を行かなきゃいけない

サヨナラも言えないほど早く行き過ぎるのに
ずっと起きているには長すぎる


日々は過ぎて行くから
それがどうあるべきかなんて天のみぞ知る

日々は過ぎて行くから

日々は過ぎて行くから
7つの海はいつも傍にあって
君を故郷へと流し返す


もうこんな粗野で野蛮な暮らしには耐えられない
そう君は言うかもしれない

雑事に時間をとられて 
人生が止まってしまったように感じるかも知れない

深い深い森を ただ走り抜けて行く
開けた大地にいつかたどり着くと信じて

安息の地にはたどり着く事がなく
またみつけることもないと知っているけど


日々は過ぎて行くから
それがどうあるべきかなんて天のみぞ知る

日々は過ぎて行くから

日々は過ぎて行くから
7つの海はいつも傍にあって
君を故郷へと流し返す

(以上、訳詞)

どうでしたでしょうか。

みなさん、この歌詞を読んで、どんなイメージを抱かれたのでしょうか?

作者としては、正直なところ、歌詞を書いている段階では、ひたすら「あるべき」言葉を探して
はめていっているだけで、一義的なメッセージを伝えることは意図していません。

なので、ここから書くことは、作詞家DiceKEYの意図というよりは、
できあがった歌詞を読んでみての後付けの解釈にすぎません。
つまり正解でもなんでもなく、1つの読み方にすぎないということを、
まずご理解いただきたいと思います。

その上でですが、この歌詞から僕が読み取ったのは、

故郷から逃れようと遠くへ、遠くへと旅しても、
ふとした瞬間に「7つの海」に故郷へ連れ戻される

故郷をどんなに遠く離れても、
今の自分を形作った故郷やルーツから逃れることはできない

という作者の深い諦念です。

妥協しなきゃ世の中ではやっていけないよ

真実をぼやかして、婉曲に迂回しなければ、人生大変だよ

知人たちの忠告、そしてそんな忠告が現実になっている故郷に嫌気がさし
主人公は旅に出ます。

でも、空を何千マイルも旅して、さらに広大な大地や深い森をひたすら走るけど、
目指す安息の地はみつかりません。

むしろ故郷では何の事なく済んだ雑事や、故郷では考えられなかった粗野で野蛮な出来事の連続に、
次第に疲弊し、すり減って行きます。

疲労で遠のく意識の中、繰り返すリフレイン。

いまや世界共通のデバイスであるiPhone、
そのマリンバ着信音のように普遍的な何かを想起させるリフレイン。

そんなリフレインが、車窓からみえる熱帯雨林や、
どこまでも続くまっすぐな道とシンクロします。

故郷にはない景色だけど、ここに来るずっと前からもっていた美感に訴える何か。

そのシンクロ感を求める自分に気付いたとき、彼は「7つの海」によって、
自分がもともと持っていた価値観へと押し戻されているのです。

でも、それは単なる故郷への郷愁だったり、自分の中に閉じこもるということではありません。

今までみたことのない物の中に、自分の中にこれまで培われた価値観と合致するものを見つけるという営み。

時が流れるにつれ、新たな自分、新たな「故郷」が形成されて行く、創造のプロセス。

彼はそう信じたい、そんな切なる希望がこの歌のサビにはこめられている。


……と、まあこんな読み方もできるのではないでしょうか。

皆様にも、ぜひ自分なりのPorque pasan los díasをみつけていただければ、
作者としてこれに勝る喜びはありません。

で、そもそもどんな曲だったんだよ?

というツッコミがきこえてきそうなので、何とか数日中に今夜のライブの動画もアップしたいと思います。

とりあえず、今宵はこのあたりで。おやすみなさい。